「まろ。」の日記帳 |
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よいよさん、へうへう。。。(><。。。 ちょっと心配です。 なんとか荷物を送り届けました。 あとは部屋の掃除とかいくつかの仕事が残っております。 年末だし大忙しだなあ。 派遣の仕事も残業ばっかり。 最近残業しまくってる。偉いな〜。 1時間だけど。 ぎゃふん 引っ越しが完了したら18切符で実家に帰りつつ旅行する予定。 どうなることやら。 ネットする時間がないのは、少し寂しいけど、なんとなく人間らしい生活をしてるような気持ちになるね。あはー。 |
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さみしい。 人間 幸せ。 ぬくもり。 わがまま ポリシー 哲学 生きる 夢 自制 唯一 愛 苦しみ ヒト 雪 優しさ 夏 熱 |
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22日付、この家でインターネットが出来なくなる。 引っ越し準備。 実家から出るときは母がたくさん手伝ってくれた。 今は一人。 将来に向けての、同棲。 少なくとも、今後どうなったとしても・・・ 彼と私の人生を重ね合わせることが出来たことが幸せ。 迷い。 私はまた迷子になるんだろうか。 |
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わからない。 いろんな事にまだ迷っているのかもしれない。 私にとっての、「社会」というものが。。。わからない。 様々なパターンを認識するレベルは徐々に向上してきている。 10年前の感覚に比べれば、それ以上のものを得てきているのは確かなのだけど、 一体それが、どの程度のレベルのものなのか。 今ある経験を、どの価値基準で、どのように分類していけばいいのか。。。 比較から生まれる優位性で自己の優位性を保ち、それを誇示することは馬鹿げているとも思う。 だが、比較しないことには、何も、わからない。 比較は経験してみないと解らない事もあるけど、、、 。。。 学ばないと。 もっと上に行けるはず。 何の基準で? 有名になる事が良い事? それじゃ誇示することに繋がる。 それはとても醜い事だと思う。 何をしたいのかが解らなければどうしようもない。 ならば精神の向上か? 高校に入って、最も、がっかりしたのは 浄土真宗の学校なのに、親鸞の思想が全く生かされていないと思った事。 世の中の基準に振り回されたり、 凄いと思って祭り上げたり。 室町時代の、親鸞が、そのように持ち上げらた末に。 隠居生活を送った理由が、生かされてないんじゃないかと思ったわけ。 でも知ってるつもりでみたレベルの親鸞なのだけど(ぎゃっは ただ、そうやって祭り上げる事や祭り上げられた後、振り回されてしまう事が 「悪人」といえば悪人なのかもしれない。 しかし、それが悪人であるからといって自分は悪人であると思い、 自分自身で悪人で居続ける事を許し、悪人で居続けるのは滑稽だ。 そこに至るまでには追求や、苦悩や、そんなものが無ければ駄目なはずなのに。 とそのような事を思ったわけで、その頃の考えから一歩も踏み出せていない自分は やはり幼いと思う。 そして向上する事を諦めてしまったから、私は馬鹿なままだったんだろう。 私は渡米出来るんだろうか。しても良いんだろうか。 何の為に? 何の為に?? 私は日本が好き。 日本人であるのに、日本を愛せないのはとてもかっこわるい事だと思うから、 私は日本が好きだと、例えそれが虚像だとしても言いたいし 言わなければいけない事なのだと思う。 例えば私は福岡が好きだったけど、福岡に居続ける事が自分にとって、 良い事なのか、そこに居続けたかったのかと言えば、そうではなかったわけで。 故郷とは遠き都で思ふものなのだけど。 しかし日本で働く時の大抵の場合、余りにも色々なものが曖昧で 互いの認識を、互いに依存し過ぎているようにも思い。 だからこそ、アメリカ人よりも日本人は何を考えているのか分かりにくいんじゃないんだろうか、、、 しかしそこで「質問力」。。。 うむ。 どうでもいいけど的確で良質な質問をする力を付けたいな。嗚呼。 要は人間性? 働くと言う事も。一種の恋愛のようなものか(w 良い例えだと思います。うぬん。 <ニュアンス 実は単に私が英語ができないのでそれなりに英語の文章に触れていなくて、 だから細かいニュアンスを捉えきれてないだけなのかも。 がっくり。 それにしてもちょびっツの英語の訳は。。。 英語にする事でよりヲタ臭さが全開されているような感じで痛々しかった。 |
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ステレオタイプ化された日本人。 ステレオタイプ化された男と女。 傾向は傾向でしかないのに、それを忘れると途端に自分もステレオタイプ化されていく。そして隣の人も。世界観の全ても。 鏡が無いと形成されないアイデンティティ。 昔は鏡なんて無かったのにね。 鏡を見ている友達をふざけて後ろからのぞきこんだ事がある。 鏡にうつる、私と友達。 不思議な感じだった。 彼女には、彼女がこんな風に見えてるんだなあ。なんて思った。 周りの人間によってアイデンティティが形成されると仮定するならば、 自分を嫌う人ばかりいる人間関係の中に入ってしまえば 「嫌われる自分」だと自分を認識し、 自分を好いてくれる人の中に居れば、「好かれる自分」と自分を認識する。 好かれる自分でありたいという事はたいていの人間にとって自然な感情だろう。 しかし、その仮定が正しく、 アイデンティティを「好かれる自分」に保ちたい人であれば、 他者にとっても自分を好いてくれる人間を好きになり、好いてくれる人たちの中に居たい事は当然。 嫌ってくる人間を嫌(以下略 そうであるならば、好意的に接すればたいていの人間も自分を好いてくれる筈。 というのは利用しようと待ち構えている人間にとって幻想だし。 他者が必ずしも自分を好いてくれるとは限らない。 その利用しようという気持ちや、嫌悪感を打ち砕く、それ以上のものを 自分がそういった人間に対し、与える事が出来るならば。。。 好意の報酬性。 働くのだろうか。 (しかし「いわゆる恋愛というもの」に関しては、それだけでは語れないのだろうな。相手に対し自分への好意以上のものを求める) 。。。しかし思考が散漫になってきた。 答えはわかっているのに、文章にならない。 もどかしい。。。。。。。 論理が破たんしている? 学問とは事象に対し、それを体系化し、分類し、名前を付けていくこと??? 心理学は当たり前の事に名前を付けただけだ。 だから当たり前の事が心理学に隠れてしまってはいけないのだ。 心理学はまだ未発達な分野であるし、 今あるそれは、「現在」体系化されているものに過ぎない。 科学がまるで全てであるかの様に言う人間もいるが それは今を過信し過ぎている。 そんな過信し過ぎる人々にとって「地球は自転していなかった」のだから。 やはやは。 「今を過信する」事については中学生の頃に思いを巡らせていたなあなんて少し懐かしい気持ちに浸ってみた。 自分を過信しすぎるのは良くないが、、、 だからといって「今判明していること」を否定するのもよくないというか。 「知る」と言う事が大事なのだろうな。 しかし、「知る」というのがまたネックで、 自分を過信していると 自分の知り得た情報、経験をも過信してしまうわけで。。。 だからこそ無知は罪? いや、、、過信こそ罪といったほうが正しいか。 常に情報や経験に対し謙虚であるべきか。(注:謙虚と卑屈は違う) 例えで出すと、「ロビーは社会と同じだ」と言った人とか。 それから、私が働いている会社のマネージャーが、数日で仕事を辞めた人に対して言った言葉「それじゃ社会でやっていけないよ」 しかしその社会というものは彼等が彼等自身で認識している社会なのであって、 ほかの人が認識している社会ではない、ということで。 「社会」という幻想。 ロビーは確かに彼にとっては社会であるかのように見えているのだろうが、 それは彼がロビーに居るからそう見えているだけであって、 そこは決してほかの人が認識している社会ではない。 私の上司が認識している社会は、彼女の知っている、彼女が経験してきた事や、知ってきた事から得られ、出てきた「社会」という言葉にしか過ぎない。 「社会」は彼等が知っている見ている世界であるのだろうし、 それは人それぞれであるだろうから。 だからこそ、情報や経験を過信してはいけないのだ。 それに、自分の行動や、言葉は 今までの経験や、情報からしか出てこない、 今ある自分からしか出てこないので。 そういう意味でも謙虚になるべきだろうな だけど言葉は、共通感覚を得るものの手段であるし、 言葉とは認識から生まれるもの。 その認識が相違していれば、自分の言葉も違う認識のされかたをするだろう。 「ことば」を理解しなければ。 何も同じ感覚は得られないわけで。 それにことばとは文化なわけで、その背景を理解しなければ、 共通感覚を得る手段としての言葉は正しく理解されないだろう。 英語に訳してある日本の漫画を読んだけど、 全然違う印象になってしまっていた。 英語というのはひどく単純な言語であるかのように思うのは 日本語より細かいニュアンスが無いからなのだろうか。 しかし「訳」というのは訳者の言葉に対する認識が加わる為に 言葉が言葉として正しく認識されない。。。。 しかし、音楽誌に載っている外国人のインタビューの訳が全部同じノリというか。 凄く頭悪そうというか。 「〜なのよ」とか「〜さ」とかいうその世代の日本人なら滅多に使わないニュアンスなのに。 そう言った言葉が使われるのは。。。 ある意味でインタビューのニュアンスをより英語に近く、というか。 「訳された文章」という一つのカテゴリーの中から生まれるパターンであって、 そこには訳する人間の認識したニュアンスがあまり含まれない為に、それでいいのかもしれない。 ブリトニーが日本語を話せたら。 という仮定から出てくる答えは人によって違うわけで。。。 しかしその平均値を知り得れば、 より近いニュアンスが表現できる。。。。。。 なんつうか。何が言いたいのかわからん思考の渦。ぐるぐる。 |
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例えいつかその思いが裏切られることを知っていたとしても、 それでも信じているって、本当に思えていたらいい。 信じる事は凄く勇気のいることで、自分を守る、心の防護壁を、崩しちゃうことで。 それって傷付く事も覚悟しなきゃいけないわけで。 私は臆病で、傷付く事が恐いので、防御壁は必要。 だけど、その防御壁のせいで、かえっていろんな苦しみがあったりするんだな。 扉を上手に開け閉めできればいいのに。 自分に自身が無いから。。。 だけど、今さら信じられないなんて言っても、もう遅いんだけどね。 不安だとしても、もう、扉を開いてしまったのだから。 この不安は。この怯えは、いったいどうすれば拭えるのだろう。 恐くてこわくてどきどきしてる。 |
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久々に自分のうちに帰ってきて、久々にカーテンを開けていた。 目の前の通りを歩いていったオバサンが「あそこのおうちにはどういう方が住んでいるのかしらね」なんて言っていった。 昨晩帰って来るときに見かけた、隣に住んでる大家んちは、クリスマスらしく木に電飾をつけていた。 ガーデニングが好きな大家さんち。 まじ、合わねぇ。。。(萎 つうかうちの親みたい。(しょっちゅう枯らしてたけど。ってぉぃ) で、そのオバサンの話は、全然関係ない家の事をさしていたのか、それとも大家んちなのか、いつもカーテンが閉まっているうちのことなのか(w やっぱり。カーテンがいつも閉まっているし、夜も電気がついていない、 たまにしか帰ってこない人気の無い部屋で、 端から見ていると不自然な、私の部屋のことなんだろうか。。。 考えすぎ?(w 東京には、そっとしておいてくれる優しさを求めて来た節があるのだけど、 閉ざしていた心を開いてみれば、周りのたくさんの音が聞こえてきて たくさんの優しさや、色んな人たちの、それぞれの人生がそこにあって。 やっぱり自分は、社会的には引きこもりをやめたようだったけど精神的に引きこもっていたんだな、って思った。 福岡の実家に住んでいた頃に、郵便局やエイジスで働いて、、、 大変な思いをして稼いだお金で、この部屋を借りたわけだけど、12月一杯で引っ越す。 たくさんのひとたちの、影響や支えが無かったら私は今こうして此処に存在していないんだろう。 私は馬鹿で引きこもりだったから、 彼らの協力を、素直に受け入れてあげられなかったし、 彼らの協力が私にとって良い事だったのか、悪いことだったのか、 判断する事は今の自分を肯定も否定も出来ずにいるから、 何とも言えないけど・・・・。 まあ、、、自分を肯定することは、悪かったことも、失敗したことも、 全て自分の一部だから、、、(まだ心が痛む部分はあるから今は難しいけど) 受け入れるってことなのかな。 後悔しないためには、そういうスタンスであることは大切だと思う。 幼い頃から、後悔なんて、したくなかったから。 後悔先に立たず。 後悔したところで何が変わるというわけでもないし、ただ苦しいだけ。 失敗を失敗と認めて、さらにその先に進めば後悔は後悔じゃなくなる筈。。。 変化したいと思う。 出きるなら良い方向に。 父親は、変わらないことはとても良いことだと言っていたけど、 それは変化しないものなんて無いから。その逆説的なものだと考える。 変化は誰にでも必ず訪れる。 変化するからこそ、大切にしなきゃいけないものもたくさんある。 それは変化しないように大切にするワケじゃなくて・・・。 良い方向に変化するように。そういう改革派。 保守派を否定してるわけじゃない。それも、悪い方向に変化しないための、ひとつの在り方であるから。 まあ、何を良いとして悪いとするのかは、考え出したら止まらない。 その場で、選択していくしかないんじゃないだろうか。 こうして語っていても、あとで考え直せば「そうじゃなくて」なんて言い出したくなるだろうから、 自分で自分を否定することなんてかっこわるいし後悔と同義だと思って思考を言葉にする事を極力避けてきて・・・。 終いには思考することすら捨ててきたんだけど。それは鬱。(w それじゃ。何も出来ないから。。。 何かしたいんだよ。私は・・・・・・。 もしかして誰かを犠牲にするかもしれない自分の楽しみを追求したいと・・・。 そう思っている。 そうじゃなきゃ何も・・・。何もできないから。 何もできなくて死んだように生きてきたけど それじゃ生命への冒涜かと。うむむ。。。 頭使えってば。まじで。。。 うつに頭使えと言ったところで無茶な話だが。 ていうか鬱病とは私は違うし神経症のほうだし(たぶん) だいじょうぶ。だんだん、元に戻ってきている。そうだと思いたい。 洗い物しなきゃ。 思い出の部屋にさようならをする、準備をしなきゃ。 新しい思い出を作るために。 |
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初めて京極本を読んでいます。 久々に読む推理小説(?)でとても面白い。 「狂骨の夢」を読んでいるんだけど、その本を貸してくれた人や、ほかの京極好きな人から聞いていた「最初はわけがわからない」という感想とは違う印象を受けていて。。。 とても論理明快。至る所に散りばめられている伏線。一つの真実のまわりで交錯する登場人物たちの物語。 いやー。おもしろいっす。 推理小説とか探偵ものとかて、話の引っ張っていき方が、妙に単純すぎたり。ほとんどの話ってそうなんだけど、視点が、主人公だけだったりするんで、ちょっと引っかかったりすることもあるんだけど、(ていうか読んでいるのが漫画とかでばっかりだからそうなのかもしれんけど) なんというか。 上手く言えないんだけど、とにかく面白いっす。わたしのつぼにはまったようです。 どうでもいいんだけどツボって、足ツボマッサージとかのツボなんじゃないかと思うんだけど、わたしはいつもなぜかたこ壷のほうを想像してしまう。つぼにはまるわたし。 わたしゃタコですかい。嗚呼。悪魔。(洋風) つうかわたしのつぼにはまるんだから私がつぼにはまってどうするんだ、だよ。 そういえば冷凍庫の中にたこしゃぶがあるな。ちょっと楽しみ。 今まで食べた蛸の中で一番美味しかったのは、鹿児島の田舎にあるおばさんちで食べた採れたての蛸。小学校高学年か、小学生の頃だったかも。 その頃まで蛸って中途半端に生臭くて食感も微妙な感じであんまり好きじゃなかったんだけど、それはすっげ〜、美味しかった。 おかんが捌き方(?)を聞いていたんだが塩漬けしたり、墨吹かせたりとかゆでたりとかなんか色々するらしい。美味しかったので覚えておこうと思ってわたしも聞いてたんだけど。説明が複雑でよくわからんかった。うむう。。。未だに残念かもしれない。 それを上回るんだろうか。 しかし美味しさってはそのときの気分もあるし、状況にもよるし、記憶は謎だ。 あと、鹿児島のしょうゆって甘いしなあ、、、 そういえばわたし、生臭い食べ物って食べれない事は無いけど苦手だったんだよね。昔はこだわっていたわけよ。 今は食べ物も好き嫌いなく、なんでもアリなんだけど。 つうか自分の人生自体ある程度までならなんでもありかも。まいったなこりゃこりゃ。 。。。 しかし食べ物の話ばっかりですよ!!!?! ここ数週間で確実にデブった! でぶった。でう゛った!!肉った!肉食いまくった!!!!! あれがちがうこれがちがう かげがちがう(昨日は山口百恵のラストコンサートの動画をみた) 体重計持ってないんだけど。。。どんなもんなんだろう。。。がうがくがくgかう コワイっすよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!あんぎゃー。ぷひゃー。ぐひゃー。 ていうか登録内容について書くつもりだったんだけど全然書いてないな。 忘れないうちに書いておこう。 敵(?)に手の内をばらしちゃうのもあれだが(何) 私が今まで恋愛を始める時にしたこと、、、 心理学の応用とか。そういう諸々もあるんだけど、、、 一言で言えば「一つのラブストーリーを作り上げた」のかもしれない。 それは、意図的なものだけではなく偶然起きた事もあったし。。。 意図的な部分を言えば、まずは相手の人生を仮定する。 自分という存在がどう映っているかを把握。 そこから生まれているだろう相手の感情を認識。 相手が多少なりとも自分を気に入っていれば、より簡単だろう。 その物語にフィットする小道具を探ればいい。 小道具は、偶然、たまたま、、、その時相手に起きた出来事かもしれないし、 自分に起きた出来事かもしれない。 そこで、何らかの介入、つまりは自分を相手のストーリーに組み込めばいいわけだ。 そして、反応を見つつ、相手の感情を絡み取る。 そうこうしているうちに、、、私自身のストーリーに相手が組み込まれていかないうちに、相手が盛り上がり出す。(まあ男のほうが先に盛り上がりやすいものなのだろうけど。たいていの女は恋愛初期は、うきうき気分だけど控え目だし、相手を試しているか、、、惚れているならそれは理想化しているからかもしれない) 自分の感情を置き去りにしたまま、相手の人生という物語(臭ッ)に自分を登場させるには、私はあまりに、流されやすいので、やっぱりそこではめてしまった相手に結局自分もはめられちゃうという。(なんかえろい) たぶん、私は水商売はできないんだろうなあ。 黒澤あきら原作の「海は見ていた」の主人公みたいに、好きになってしまうだろうし。 しかも、その相手が一人じゃなかったりしてね(苦笑)収集つかなくなりそうだ。 と言うのはさておき、とにかく無理だと思う。 詐欺師は自分をも騙すというけど、自分を本当に騙したのならそれはいつか真実になってしまう。 なんだかんだで、罪悪感というものを抱きやすく、しょっちゅう良心が痛む自分は、結局、本当の悪人にはなれないんだろうなあ。。。 自分を律する事はたぶん、できない。感情的だから。どうぶつだから。 しかし律する為には「〜はしてはいけない」とか「〜することはかっこわるい」とか「〜することはすばらしい」とか「〜ということはいいことだ」みたいな。 善と悪をハッキリさせる必要があるわけで、そこで悪いほうに入っちゃう人を否定することになるわけで、、、、 いやいや、罪を憎んで人を憎まずだ。 愛だぜ。愛 (なんとなく、上杉謙信の家臣の直江兼続の愛という字がでかでかと書いてある兜を思い出すわけだが。おおっとやばいヲタクがばれる) つうかねー。あれなんですよ。こういう。なんか相手をはめるとかはめないとか(失言)そういう、セクシャルな意味じゃなくいやらしいことを考えてしまうので、頭働かすと嫌な気分になるのですよ。 相手への支配。コントロール。操作性。 ぼーだーぼーだ。 上手にやらんとかっこわるいっつの。 ていうかできねえつの。 自分がすごく嫌な人間に思えてやっぱりやなきぶん。罪悪感。 要するに自分を汚したくないわけなのか?そういう意味では極悪人だなあおい。 だからそういう部分の現実と感情は違うってば。。。 こういう事を考えていると止まらなくなるし自分を律する事を完璧に求めようとすらしてしまうので。おーるおあなっしんぐ。 ああだけど。 違う。そうじゃないッ。私は。。。ッ なんだかみらーじゅ的思考が止まらないな。つまりは炎の蜃気楼。影響受けたコバルト文庫(w。ヲタク全開。しかし京極本がツボにはまったのは、炎の蜃気楼の作者が京極に影響を受けているからではなかろうか。文体も似ていない事も無いなあ。。。 みらーじゅもそうだけど、最近やってる赤の神紋にもでてくる、 だれしもが認めるカリスマとそれに激しく惹かれつつも、故に嫉妬し、憎悪するある程度認められている凡人の像。 特に赤の神紋に出てくる、多彩な劇作家(?)と小説家のそれは、京極とその作者を想像してしまう。。。 焦がれてもなお、自分より高いところに居続ける、カリスマ(京極)と、それなりに認められているが決して天才的というほど認めらずに、カリスマ(京極)に影響を受け続け、凡人の域から抜け出せないと足掻いている作者(桑原水菜)。。 。。。うわっ。あいたたた! ヲタク全開だし!しかも、コバルト文庫なのに男ばっかりでてきてやおいっちゃってる小説のことを語ってるし!!!これだからーおたくはー。あ〜〜〜。 しかしだよ、いくらおもしろいとはいえ、こういうヲタク的な形であったり、 内輪にしか認められない内容であれば、世間的には埋没された、マイノリティな存在でしかないわけだよ。 だからこそ私はデザインを志したわけで、、、 ていうかそこでループかよ(三村的つっこみ) |
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inputとoutputが上手く出来ない。 意識が散漫、 そういう傾向。 朝、ちゃんと起きて、仕事に行って。。。 そういう生活に少しずつ慣れて、 徐々に人間らしくなってきたのかもしれない。 しかし、今日は少し睡眠が足りなかった所為か、ぼーっとしていたので あまり宜しくなかったな。 先月末にしたミスが発覚して、しょんぼりしたりもしたけど、 なんとなく「普通」になってきた気がする。 ぼんやりとした景色が、少しずつ鮮明になって、 朝と昼と夜がはっきりしてきているような。 今日は久々にコンタクトで過ごしてみて、 やっぱり視界の意識に与える影響は大きいと実感したりもした。 面倒くさがらずに、やっぱりコンタクトを普段から使用するべきだなぁ。。。 メニコンから月額2000円ぐらいのプランに入ってるわけだし。 もったいないし、やっぱりコンタクト、がんばって使うようにしようっと。 眼鏡だとださいし、気分も滅入る。 それにこないだ喧嘩(?)したときめちゃくちゃ怒って眼鏡をぶっ壊しかけてからちょっと緩くなっちゃったし。。。(のああ それにしてもあのときはめっちゃ怒った。 思い出したらまだむかつく。 しかし、けっこうわたしは怒ると暴力的なのだよなあ。 ていうか。 2、3年ほど、本気で怒った事がなかったのに、つきあいはじめてから けっこう怒りまくってる気がする。 感情的になったていう。。。 なんだろう。喧嘩してコップを割った時、自分の指も切れて、けっこうな出血をしたのだけど 例の、あの頃も、めっちゃ怒ってタンスを蹴って足の親指を切って流血したという。 そういう事を思い出したので、色々フラッシュバックしたかもしれない。 高校の時、仲が良かった友達はわたしはいつもにこにこしていてめったに怒らない穏やかな人だと思っていたようで 家族に対するわたしの冷たい態度に意外性を感じていたようだ。 まあ。今思えば当然のような。 ある意味で家庭内暴力というか。。。 それに近かった部分もあるだろう。 母親の無神経な言動に怒り狂って茶碗を割ったりご飯を引っくり返したりetc 激しく口論して泣いたり。中学生の頃はそういうことがあった。 高校に入ってからは、怒っても、口論しても意味が無い事に気付いて 一人で耐えたり、部屋に引きこもっていて、物に当ったりしていた。 不自然だと思いつつも親に対して冷たかったのはどうしてだろう。 あんなに母親を殺したくなったのもどうしてなんだろう。 昔はただ、自分の中の憎悪をどう処理して良いのかわからずにただ、くすぶっていて色々理由を付けて心を休めていたのだけど、 今は、どうして自分にとって大切な両親、愛すべき肉親を憎むようになったのか。 それが気になっているし、その事をとても悲しいと思っている。 たぶん、そこの紐をほどけば、過剰な自意識とかなんとか諸々の汚い見たくない感情がたくさん出てくるので 恐くて分析したくない。 親を嫌うのは駄目な事だ愚かな事だと言う事はとても簡単だけど、 好んで愛すべきものを嫌う人などいないのにねー。 とりあえず、過剰な自意識とは関係のないところで、 自分をスキにならないと駄目だと思う。 ただ、自分を愛そうとする度に、それを否定してきたのが親だったしなあ。 もにょん、、、 |
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http://www.ne.jp/asahi/ogi/home/back/006.html 私は指も腕も左が上に来るのだけど、 思いっきり右利きだ。 目も右。 左利きとかいうようなあれだけど、左手は死ぬほど不器用だ。 しかし脳みそと直結しているというあたり当っているかもしれない。 理解も判断も直感的だ。うん。確かに。 あー。でも左は本当にびっくりするほど不器用。 体の左側の存在を忘れるぐらいだ。 手相の本に手のひらは脳みそが直結しているとか書いてあったなあ。 で、左と右の手相が全然違う。 脳みそ云々じゃなく単に左はあんまり使ってなくて右ばっかり使ってたから 違うんだと思うよ。うんうん。 夜に彼の親から送られてきた大量の冷凍食材にびっくりした。 冷凍庫の霜を取りまくってなんとか入れた。 あとビニール袋2袋分の大量のゼリー。。。(ちょっとまずい) びびった。 とりあえず肉食った。 めちゃうまーだった。(ほかいどう万歳) なんか今日はいっぱい食った。 太るぞ太るぞ。 バイトはじめてからめっちゃご飯食べる。 前は1日2食だったような。。。 ストレスか?何だ、謎だ。、 まああれだおいしいもの食べてるときって 私が今まで生きてきて一番幸せを幸せだと感じる事ができる時だと思う。 (うへえ 12歳の頃から描きはじめた漫画のタイトルは「幸せですか?」だった。痛い!!!(苦笑) 今だから言えるんだけど、(だけどめちゃくちゃ恥ずかしいぞおい) 友達に読んでもらったりしてたけど、(それも痛いわけだが) 誰にも伝えていない、(伝えきれていなかったかもしれない)テーマはそのタイトルにあって、 自分の今を不愉快だと思う事も含めて全て肯定できるのなら、それはとても幸福だということ。 なんかうまく言えないのだけど、自分はいろんなところに繋がっていて一人じゃないんだこれがしあわせだーみたいな。謎。そういう電波。 とにかく、 自分を構成しているものは自分だけではなくて今までや今見ているもの、自分のまわりに存在しているもの全てであるという。 そういうことを考えて、なんだかすごく、何かが降ってきたような、目の前が明るくなったような、幸せな気持ちになってああ、これを伝えたいなあと思ったという。 だけどどう伝えていいのかわからんので漫画にしてしまいましたというそういう微妙な中学1年生でした。 悟りを開く瞬間というか、宗教とかに目覚めちゃう瞬間てこういう感覚なんだろうな、って今でもそう思ったりする。 きもいなー。電波だなー。 とりあえずそういう痛々しさを本人も自覚していたので、 (いやいや、今でも一応わかってますってば。あああ。) 漫画にしちゃったみたいなところがあって、 そういう痛い部分をそっちに注ぎ込んでたような気がするので、 あれが終わっちゃった時、自分を支えていたものが崩れたというのもあるかもしれない。 うーん。でも未だに不思議なのだけどどうしてああいう「お話」は溢れてくるんだろう。読んだものとかのインスピレーションでなんか脳内で変換されてできてくるんだろうけど、、、謎だ。 そういうわけで、なんというかそういう自分のバランスをとる為に 絵を描かないといけないと思ったりもしたわけだけど、 結局、他人の目が気になって、というか いやちがう、デザインは他人の目ありき。 そういう他人の目にどう映るかというか自分のそういう部分を認めてもらうために こっちに進んだというか。 結局そうこうしているうちに自分の認められないような全てを認めてもらえたりして そういう暗い部分が、というか認められたいと言うような感情が満たされてしまったので、 表現する力が失われてしまったのかなあ。。。 もうちょっとどうしようもない感じの人間だったらまだ、あれだけど。 それなりに不器用なりになんとかなっちゃってるしそれでもまあいっかなんて そういう風に思えてきてしまっているので、駄目なんだと思う。 なんだろうなあ。おいしいもの食べてるときはものすごく満足でこれが幸せだと思うんだけど、 それってずっと続かないしなあ、 幸せって脳内麻薬が見せてるんだな。 とりあえず目標に向かって前進してる、って思える時も幸せの一つで。 たぶん今は幸せなのかもしれない。 頂上は見た瞬間は幸福だけど、ずっとそこに居続けるなら、すばらしい景色ですら見なれたものの一つになってしまう。 常に、目標は掲げるべき。 何を目標に、何を生き甲斐にするか。かな。 とりあえず芸術という方面は、なんというか切りが無いし、 絶望的な気持ちになる。 必死に描いたんだろうな、って絵とか。 一蹴されちゃうと、その時間の存在価値って何だろうと思ったりする。 描いてる時間を価値のある時間にするためにはどうすればいいんかなあ。。。 なんかもう、泣きそうな気分になってきた。 まあいいや、とりあえずバイトの話しよう。 バイトていうか派遣の事務なんだけど。 30代前後の独身女性とある程度の年齢の子供がいる既婚女性とで構成されている。 結婚したい人がいっぱいいるようで微妙。 女ばっかりの職場だし。うわさ話とか激しい。 その場にいない人の話題で盛り上がるってなんか恐いよー。 悪口じゃないならいいんだけどなあ。 で、私ぐらいの年齢の人って少ないのでちょっと浮いてて哀しい。 むしろ社員さんの子供ぐらいの年齢だよ(アセアセ さっさと就職決めて辞めたい。作品作らなきゃ。 今日は学校休んじゃったし。 今日の愚痴終了 |
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どうでもいいけど私は頭の良さに価値を感じるようだ。 馬鹿は嫌い、だから、感情的なものは駄目、っていう構図が出来ていた。 女は感情的だから女は嫌い。みたいな。 感情的な分、女って男より動物みたいに見える。 と思っていた。 あと、思ったこと。 母親が強かったので、子供の頃から能動性が少なく、 自分の意志を持つことよりも、誰かの定めたレールに乗っからないと駄目だった。 高校の頃、壊れたのは、今まで自分の意志が無かったのに、 突然放り出され、自分が何なのかわからなくて、 レールを何処に定めればいいかわからなくなった為。 高校時代は余り思い出したくない。 楽しかったような頃もあったけど、酷く空虚過ぎた。 高校生は身体はだいぶ、大人だけど、心はまだまだ子供だ。 成長しなくなった子供の心を抱えたまま、20歳位まで過ごしてきてた。 私が年齢相応であるとぬかしやがった馬鹿がいるが これはそういう問題ではない。 ああっトイレに行きたい。 寒いと近いぜ。 |
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とにかくずっと浮いているような感覚がする。 何だろう。嫌な事がいっぱいあり過ぎる。 最近は。。。うん。忙しい。 今日は死ぬほど寝た。20時間は寝た。 今までだらけていたからその分、睡眠時間が短くなってきて今日に皺寄せ。 引っ越し準備するつもりだったのに。 来月からは、彼氏んちにずっと居ることになる。 お金貯まるんだろうか。 いや、貯める。 また、貯金生活が始まるんだなぁ。。。 そして未来の生活に向けての不安で呼吸が荒くなる。 就職のことも、想定より、何もしてこなかった絶望感に苛まれたりする。 課題を目の前に、呼吸困難に陥るアホ。 そういえば日記にずっと書こうと思っていたんだけど、 なぜかこないだ彼氏と某カヲルさんとの浮気が発覚する夢をみた(笑) ショックで夢の中で失神して床に倒れる瞬間に叫んで目が覚めた。 18歳の頃、2か月間ぐらい、某通販会社で商品を購入したことのある人に対して美白の効果があるクリームを電話でセールスするバイトをしていた。 一緒に仕事をしていたお姉さんが、同棲していたらしく、「昔は一人じゃないと眠れなかったのに、今は誰かと一緒じゃないと眠れなくなった」と雑談していた。 「ヲトナだ。おぉお。同棲なんかしてるんだ。ばかっぽいなあ。けっ。(羨)」と当時の私は思ったのだけど、(苦笑)今度からは自分がそういう立場になる。 夢に見た、憧れていた事は、叶ってしまえば只の現実になるのは当然の事なわけで。 とりあえず2、3年後の私、がんばれ。と思うわけでそしてまた息が苦しくなる。 |