「たか」の日記帳 |
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9時半過ぎに起きる。完全に寝坊した。 昨日と今日は横川までさよなら列車が走る。(正確に言うとさよならキャンペーンが正しい)殆ど用意してない機材を用意して、1時間後に家を出る。列車は終点に着いている頃なので、上り勝負にかける。 大宮から快速で高崎に向かう。途中、籠原で下車し、先の列車が回送で停車中しているので、それを撮って高崎に向かう。高崎には13:15頃に到着する。次の列車まで1時間ほどあるので、駅の外に出る。 上りの横川→高崎の指定があるかどうか調べに、まずはみどりの窓口へ進む。こういった類の列車は、コンサートチケットの様に、発売日に即日完売が多いので、あまり期待はしていないつもりだったが、あっさり取れてしまった。おまけに残座席数は44って・・・。とりあえず、ラッキーと思って東口ロータリーに出ると、ボーイをアカペラで歌っている香具師がいた。。。;;;何のために真昼間からそこで歌っている??? 発車時刻近くに列車に乗込む。やけに高校生が目立つ。何か今日あったのか?と思いながら、列車に揺られる。高崎から暫くは、住宅地が目立つが、松井田付近から山間の風景が見える。たまにまばらな、のどかな車窓も、非日常的で心地よい。30分ちょっとで、執着の横川に到着する。よく考えたら、高崎から横川に来るのは、軽井沢−横川間が廃止されてから、初めてであった。あれから既に6年近い年月が経っていたのである。廃線後、1度だけ軽井沢方面から、歩いて下ってきたことがあった。駅構内に入線する車窓も、昔の雰囲気がまだ残っている・・・、と思っていたら、ホームに見慣れた顔が居た。最近ご無沙汰な大阪の友人であった。ドアが開き、友人の元に赴き、久日ぶりの会話をする。 上りの回送列車が入線したところで、帰りの切符を購入するために改札に向かう。駅構内には、湘南色の急行型電車と、少し色あせて展示用に置かれた峠のシェルパと特急型電車、それと2両編成の普通電車。新幹線開通前までには日常に見られてた光景である。ただ、山の方に続く峠の轍は、コンクリートの壁で今は閉ざされてしまった。駅を出ると、臨時列車が走ることもあるが、シェルパ達の基地となっていた横川機関区の跡地を利用した「鉄道文化村」ができたこともあり、まだ終着駅でない頃の閑散としていた頃とは違う光景があった。ちなみに、ここの施設では、実際に機関車を運転できる、全国では珍しい鉄道施設である。また観光としても、昭和40年代間で使われた旧線を利用した、碓氷湖〜めがね橋までのハイキングコースが、廃線後に作られた。 帰りの切符を買い求め、ホームに入ると、記念乗車券を配っていた。最近では珍しい硬券の切符である。ある意味懐かしい。なぜなら、こういった切符で有料列車に乗るのも、かなり昔のことである。小学生の時に、新潟の祖母の家から1人で帰ってきたときがそうだった。その時も、この峠を下って帰ってきたのであった。そんな懐かしい記憶が思い越される。 上りの列車が発車するまでは、もう少し時間があるので、列車を見つめていた。見つめていると、やけに静かさを感じた。しかし、ひとは列車に乗る人から撮影する人まで、それなりの人数は居る。前は気にはならないことがったが、今日はやけにそう思う。 「機関車の汽笛と騒音がない」 まだこの駅が、途中駅の頃は、この駅で、全ての列車が停車し、晩年は「峠のシェルパ」と呼ばれた機関車を必ず連結して、この峠を上り下りした。そして機関区からの入れ替えに、その音を構内の端から端まで鳴らしていた。当時は深夜に夜行列車が通過していた為、1日中、機関車の騒音と汽笛がこだましていた。そして、以前来た来た時には無かった、当時と同じように置かれた展示用の機関車特急列車列車の風景がそう思わせたと思われる。 1997年9月30日 午後10:00になろうとしていた。午後8:00に軽井沢からの特急を横川で降り立った後、1つかしかない、有人窓口に並んで、2時間が経過しようとしていた。午後10:00過ぎに、軽井沢からの臨時快速が到着すると、峠を下る上り列車は終了を意味した。後は、最終30分前に出る臨時のあさまと、最終のあさまが、この峠を上りきると、100年以上守り続いた峠の歴史に終止符が打たれ、この碓氷峠の鉄路が途絶える。駅の構内からは、EF63と列車が出発・到着すると騒音と共に歓声が聞こえ、列の脇を見ると、模擬店が連なり、なにやら今頃に廃線反対の署名を行っている。冷ややかな目を見つつ、構内に入ってくる列車を、そして刻々と迫るその時を、ただただ見過ごし、窓口が自分の前に来るのを待つしかなかった。 22時が過ぎ、いよいよ最後に峠を通過する営業列車がやってくる時刻が近づいた。まだ、自分の前には3人ほどいる。停車時間は4分程あるので、逆算してもぎりぎり乗れるかどうかだ。 深夜の山間の駅で、最後の騒音と人のざわめき。 自分の番になって程なく、最終列車がホームに入選してきた。軽井沢までの特急券と乗車券を求め、駆け足でホームに向かっていく。発車ホームには人が溢れていた。そのうちの2/3はホームでの見送りのようだ。普段はこんな時間には営業しない、峠の釜めしを販売するおぎのやも、今日ばかりはこの時間まで営業し、最後を見届けるようだ。 峠の釜めしも、随分世話になったものだ。峠を上り下りに如何なく、ここで買い求めていた。明日からは駅での販売はほぼ無くなり、列車内では新幹線での販売が主体になっていく。またこれも時代の変わり目・・・。 電車に乗りこむが、定時よりかなり遅れた発車になった。いよいよ最後の営業列車の花道である。電車が動き出すと、ホームから多くの人の手が揺られ、ホームを過ぎると、ストロボの閃光が無数当てられる。横川機関区を過ぎると、辺りは完全な闇に包まれるが、光は旧丸山変電所まで続く。 「フォーーーーーーーーーーーーーーン」 「フォーーーーーーーーーーーーーーン」 「フォーーーーーーーーーーーーーーン」 暗闇の中に最終列車が突き進んでいく。挨拶の如く。 ここから坂下まですすむと、無数のトンネルをくぐるとともに、急勾配が始まっていく。電車は空気バネを殺し、一定間隔の繋ぎ目が断続的に音と振動を奏でる。夜なので、車窓は見えないが、この碓氷峠通過時の独特の感触は十分に伝わる。旧熊の平でひとときの平地になる。ここでもストロボの光が幾つか確認できた。床から伝わるつなぎ目を一つ一つ確かめながら、闇の峠を登って行く。 30分弱の余韻が瞬く間に過ぎ、辺りが平野に感じられると、軽井沢に到着する。今まで24年の歳月を世話になった鉄路の旅情が封印された。到着すると、幾人かが機関車との最後の切り放しを見守っていた。100年以上続いた行為が、ここで終了した。切り放された機関車は、このあと回送で、その日の内に横川まで下り、全ての電気回路を遮断される模様である。 峠の響きよ、永遠に・・・ 切り放された特急の花道は、まだ続く。何故なら、この先の軽井沢〜篠ノ井間もJRから分離され、明日から第三セクターとして。そしてこの特急も今日限りで廃止され、愛称は新幹線に受け継がれる。 軽井沢をかなりの時間が過ぎて発車した。 「フォーーーーーーーーーーーーーーン」 「フォーーーーーーーーーーーーーーン」 「フォーーーーーーーーーーーーーーン」 「フォーーーーーーーーーーーーーーン」 ・・・・・・・・・・ ホーンが一呼吸ごとに発せられる。心地よい振動とホーンの音がリンクして、擬人化した声が聞こえる気がした。それは所謂やるせない雄叫びの様。そしてその列車を見守る、見送る人影が、深夜の暗闇からちらほらと確認が出来る。通過ギリギリに間に合った老婆や車のライトをサーチライト代わりに、列車に向ける者、そして沿線で見守る人々・・・。 最後の特急「あさま」は、深夜の闇にホーンを弾き飛ばしながら、突き進む。 --------- 静かなのは、まだ廃線が認めるとこができないところがあるのだろう。事実、先の鉄道文化村やその施設が出来てからの路線跡は訪れてはいない。誰かと来れる機会があったら、何も考えずに、軽井沢に訪れたついでに寄ってみよう。その時に蟠りは解決できると予感する。 そういえばNGOとかで、トロッコ列車等の観光路線で復活させる運動はあるらしいのだが、万が一実現できたとしても、当時の余韻を感じられるかどうかが心配ではある。 発車時間が近付き、臨時急行列車に乗込む。発車ベルは最近の電子化された音楽ではなく当時と同じ、電子ベルであった。発車後は、暫く先頭車両で久々に列車という余韻を楽しんだ。 列車というものは、日常を忘れさせるには最適である。車でも運転すれば、どこか遠くへ行けるが、列車は乗込んでしまえば、引き返すことは容易くはできない。時々寄るのターミナル駅から発車する夜行列車の行先が表示される電光掲示板を見ると、日常を捨てて、ふらっと乗込んで行ってしまいたくなる。だから、列車の旅情は好きである。 30分ちょっとで高崎に到着し下車をする。ここからは新幹線で先回りをして、先で列車を撮影をして、今日の日程は終了した。 |
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今日は日本とパラグアイのサッカーの試合があった。 ほぼ1年前に、ここのグランドでワールドカップの日本戦を観戦していた。 熱狂のまま、その年は過ぎていった。ある意味、公私共に充実した年だった。 今年は、不完全燃焼が続く。 年明けとGWに喉を痛めたせいか、声が出しづらい。声の出し方を、忘れてしまったような感覚、と言えば分かり易いだろうか。そのせいか、人に対しては懐疑的だ。表情と内面の背反がはだはだしい。 しかし下だけは見て入られない。立ち止まるほどの時間は待ってくれない。今の状態が最悪であって、それ以下は無かろうと信じて、動いていく。小さな喜び位はまれにあるだろう。 6月に入り、1年前がやけに昔に思えたこの頃である。 |
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会社の帰りがけ、書泉によって雑誌を買い込む。 1。スバル新型レガシィ ニューモデル完全ガイド 2.WorldPremium FiarladyZ 3.鉄道DJ 完全な無駄使いである・・・。 早くZはマイナーチェンジ情報が入らないかな〜。悩む! |
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今日も快調に午後に起きる。しかし、いつもの午後ではなかった。 昼飯が終わって暫くしたら、父親曰く 「RX-8とレガシー見に行くぞ!」 昨日から「いくぞいくぞ」と言っていたが、ホンとに行くのかオヤジ。10年頑なにブルバードだったのに。 ということで、マツダとスバルの店に行った。先に行ったのはマツダ。車を止めた直傍に8はあった。 「なかなか渋くていいじゃん」 これが第一印象である。よく雑誌のインプレッションの写真では、赤とか黄色を良く見るのだが、そこにあったのはダークグリーンで、18インチのホイールを履いた8であった。暫しセールスの話を聞き、近くの別店舗にAT仕様があるので、セールス氏の運転でそちらに向かう。べつ店舗にはシルバーとブルーの2台の8がいた。シルバーの8がATであったが、16インチのタイヤを履いていた。先程の18インチの8に比べてこじんまりと見える。買うとしたら18インチが決まっている。 着いて早速ATに試乗する。運転するのは、買う親父で、我は後部座席に座る。なぜなら、使用はファミリーユースだぞ(笑)。 走り出すと、ヒューンとしたロータリ独自のエンジン音が聞こえる。後部座席でも難さがわかるサスペンション。従来の7と違い、後部乗車も年頭にある為か、それ程苦痛には感じないだろう。しかし観音開きのセダンタイプとはいえ、通常のセダンよりかは、包み込まれる感はある。後部の窓は、昔懐かしい小型車に良くあった「ちょっとだけしか開かない三角形の窓」。九部中央には小物入れとカップフォルダーがあり、後部から出の、悪くはない。結局8のドライブはオヤジが堪能した。 カタログを貰って次にスバルへ向かう。店に入ると、ダークブルーのB4セダンとホワイトのワゴンが、どーんと並んでいた。もちろん目当てはB4セダン。そういえば、ワゴンは2週間ほど前に発売したが、セダンは今月の23日にならないと発売じゃないんだよな〜、なんていうのを思い出した。展示車を眺め、少し乗り込んでみる。流石に後部座席はセダンなので、8よりかは開放感があるが、多少リアガラスがブルーバードに比べると狭い気がする。スタイルは8に負けずセクシー。 見た後は少々セールス氏の話を聞く。20代前半だろうか。なかなか話しに力が入ってい、さっきのマツダよりいい。試乗の話になり、ワゴンだが乗ってみる。今度は俺も運転する。ハンドルを構えた時の感想は、かすかに伝わるエンジンの振動と音が運転する気をそそり立てる。ターボ車だったので、軽くアクセルを踏むと4輪が簡単にカタパルトを叩き付ける。硬い足の感触だが、8より気持ちやわらかいと感じる。段差がある公道であっても安定して飛ばせる。車が空いていれば、同じ道を100キロぐらいでも余裕の安定感はあるだろう。運転して、ターボ車だったこともあり、自分には8より好印象だった。 だったが試乗車後、セールス氏が「簡単に見積もりを出しておきますね」といって出てきた見積書には愕然とした。値引きやサービス品もなく、ぎゃくに今乗っているブルーバードの歯医者費用まで入っていた。お値段は400万弱。たしかに他社で10年落ちだけど、なんかセールスに繋がるフックが見当たらない。マットなんか「成約記念」だろーに。これでトーンダウンして家路に帰る。 帰って改めてカタログを見ると、 親父、どっちかかぇー っていう気分。見積もりが無ければ、レガシィなんだったけどなぁ〜。 それよりか俺、、、半年経っても新車のZ33かGT-Rにするか迷っている(鬱)まだ34GT−Rが新車で売っていたなら、即答でローンで買えるんだが、それは1年前まで。新車を取るか中古ターボを取るか・・・。まだ決めかねています。去年の秋にZ33の書類に判を押したのをキャンセルして、まだなやんでいる。 |
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この部署の余命も今月限りかと思って出社したら・・・ 部署存続がケーテー 単なる人事部長の暴走だったらしい。部署が消えると役員に知れ渡ったら、もーれつな非難が炸裂した模様。しかし、実際のところ、社員はカット分が帳消しになって、今にでも潰れそうな会社とおさらばできて、その方がよかったとかなんとか。 俺の様な駐在員には1_もかんけーねー話だったが、今回の一軒でいや〜な面や考えさせられた面もあり、この仕事辞めてしまおうかな〜。 勝手に設定弄るわ、勝手にソフトインストールするわ、当然のように稟議外のパソコン持ち込むわ・・・あーいやだ、管理しきれねぇ。たまにハイテク野郎とかオヤジがいるけど、趣味や個人使用の域に毛が生えたようなもので、たまにしか使えん。会社で使うパソコンっていうものをもう少し考えろよ。そのあたりがわかっているのは、社内全部見渡しても1人位しかいねぇ。OA担当者全てを銀行のシステム室へ送り込んでやりたい。 |