「ゴリヲ」の日記帳 |
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今日は昨日落語を聞いた川柳つくしの「つくしの自主トレ」なる自主稽古を見に行った。 7月1日に下北沢でやるライブの通し稽古をやる、ということだった。ふつーの落語会ではなく、ひとり芝居とかをやるみたい。 今日はざーっと台本の読みだけやっていたので、正直、面白くはなかった。 たぶん、関係者2人、ファン3人という観客の構成だと思うのだが、関係者がダメ出しをするのはまあいいとして、ファンも結構ダメ出ししていた。 俺は、今日初めて稽古を見に行ったのでいきなりダメ出しもなんだろうと思って黙っていた。が、いくらなんでも、と思うところもあったのは確かだ。 でも、こうしてファンの意見を聞いたりしながらやるのはどうなんだろう、と思ったね。毒っけが抜けちゃう気がしてならない。 ありがとうございました、とニコニコしながらハラのなかでは「ケッ」と思っていて欲しいなと思う。 |
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今日は本所吾妻橋の信用金庫に落語を聞きに行った。 下町寄席とかいう地元の人たちが企画して開催している会らしく、今回で二百数十回を数える歴史ある落語会のようだ。 もちろん有名な落語家はあまり出ない。前座・2つ目さんや正直売れてない噺家が出ているようだ。 ファイティングドールズとかいうコンビ漫才と川柳つくし、柳家小ゑんさんの落語を聞いた。 ファイティングドールズは似顔絵芸をやる結構なベテランで、客席いじりがなかなかうまいので、こうした営業には最適のお笑いさんだ。楽しめた。 川柳つくしは川柳川柳さんのお弟子さんの女流落語家。師匠譲りの毒舌かと思ったがそうではなかった。平板なキンキン声はなんとかならないかと思った。 小ゑんは新作の落語をやっていたのだが、なかなか良かった。大正時代の納豆売りの少年の目を通して当時の風俗を描き出す作品だったが、良く作りこまれておりノスタルジーの香りがただよってきた。 打ちあがった後、浅草にほど近い本所の町をぶらぶら歩く。寄席に入る前に買っておいた昔懐かしい感じのコッペパンを食べ、ジュースを飲むとなんだかのんびりした気分になる。銭湯を見つけ、ああ、タオルを持ってくればよかったと後悔した。 そうだなあ、これからの季節、いつもタオルを持って(着替えまではいいとして)、汗をかいたらひとっ風呂、そんでもってビールをぐいーっとやるってスタイルを取るのもいいかな。 もう夏だねえ。 |
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今日はブラジリアンバー「ラランジェイラス」でボサノバ・サンバを聞きにいった。 前回のシンガーと比べ、今日出てた女性の歌声はとても良かった。 ルックスはあまり良くない(たぶんメジャーシーンに出られるタイプじゃない)ものの、とてもしっかりした、心地よい歌声だった。 この店のライブの何が良いかというと、アクターとオーディエンスの距離が近いこと。通の方にはどうなのかはよくわからないが、曲名とかその由来とかどんな地域でどんな人が好む音楽なのかなど、聞けばいろいろなことを教えてくれる。 お勉強中の初心者の俺には最適な店だ。 で、今日聴いたボサノバで一番良かったのは「カイピーリャ」とかいう曲。「田舎」という意味なのだそうな。ポルトガル語の歌詞はもちろん理解できようはずもないが、望郷の思いが伝わってくるような、素朴で少し悲しい歌だった。結構じーんときた。 その他は、日本語でいえば「音痴」という曲、それから「今日はどんな服着ようか」という曲などを聴いた。とてもシンプルな曲名とメッセージが良い。 後者は、服をたくさん持っていて「どれにしよう」と思うのではなく、一着しかないんだけれども、好きなあの子と会うために何を着て行こうかと思う歌なのだそうだ。 とても陽気な歌だったように思うが、いろいろなことを感じた。 なかなか良かった。 |
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今日は調子悪くて会社をお休み。 久々に昼間っからネットで遊んでいたんだが、いつもの知った顔ばかりでちょい退屈だった。 匿名掲示板熱ってのも冷めてきたのかな? |
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今日は手塚眞さんに会った。 髪の毛を金髪にしていて、じーっと顔をみているうちに懐かしい思いで一杯になった。 というのも、手塚治虫先生の漫画に出てくる少年のキャラクターそのままなのだ。もはや40代になった方に失礼な気もするが、ホントに少年。ホントに漫画のキャラクター。 こう繰り返し書きたくなるほど感激したのである。 |
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今日は日本経済新聞社でセミナーを受講した。 あまりに当たり前のことばかり言っているので途中から怒りがこみ上げてきた。カネ払って聞く講座じゃないね。むっとした。 そんでもって『シカゴ』を見た。 レニー・ゼルウィガーはパッと見てオカマだと思った。キレイだとかは思えなかった。 まあ楽しい映画なんだが、これがアカデミー賞?と思った。 嘘つかれて射殺、愚鈍な夫は踏み台、そうよオール・ザット・ジャズ♪と歌われても心に残るものなんてあるかねえ・・・? ここのところのアカデミー賞受賞作にはロクな作品がないことは公然の事実だが、今年もまた、という思いがしてならなかった。たまにはいい作品選んでよ。たまにはいい作品もあるんだから。 |
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今日は品川プリンスシネマで『ソラリス』を見た。 タルコフスキーの『惑星ソラリス』には以前感銘を受けて、ビデオを購入しているのだが、よく考えてみるとまったく内容を覚えていなかった。なぜだろうか?タルコフスキーの映画はいくつかのシーンの断片しか覚えていない。 そんなわけで、前作との比較なしに初見作品としてまずは見た。 とりあえず、ソダーバーグの本領発揮だなと思った。 『セックスと嘘とビデオテープ』のソダーバーグが『オーシャンズ11』や『エリン・ブロコビッチ』を撮ってるほうがおかしいと思う。もっとわけわからん「風」に作ってたほうがマシだ。自己の内面に向かっていく地味でクラい映画。それこそがソダーバーグの本質であり、ハリウッドで一応の成功を収めた彼に対するひとつのごほうびとして撮らせてもらえた作品だと思う。 ただし・・・ 俺としては、ソダーバーグにこのモチーフはムズカシすぎたと思う。何てことはない。宗教の問題だ。キリスト教的な発想からこのモチーフを描くと陳腐化してしまうように思う。 亡くなったはずの妻の存在は、神が創造したもうたものではない。自らの煩悩が生み出す幻影である。東洋的な思想をベースにしっかりと持っていないと「神の許したもうた存在」などというボケた観点で物語ってしまう。 存在は「無」であり「有」であるという観点がどうも中途半端であるように思う。それが商業映画の限界かもしれないが・・・。 |
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今日は、人に「夏祭浪花鑑」のチケットを2枚頼まれていたものの、いつもお世話になってる(お世話してる)役者さんのところでは1枚しか取れず、早めにコクーンに行って当日券を取って渡してあげる予定でいた。 しかし、昨日(つーか今朝)はるな愛の店に朝4時過ぎまでいたこともあり、うっかり寝坊してしまった。 急いで駆けつけ、開演30分前にコクーンに着いたもののチケットは無情にも2〜3人手前で売り切れ。 しょうがないんで、見られなかった1人には平謝りし、全ゴチで歌舞伎終了を待つ。 喫茶店、そして映画、また喫茶店。それら全部おごり。 さらに、公演終了後、歌舞伎役者さんの楽屋にご案内してあげることにした。 そんなんで、かなり上機嫌で帰ってもらうことができたと思うが、あちこちに頭を下げ通しで気をつかいまくった。・・・つかれた。 で、役者さんのお母さんにいろいろと小間使いを命ぜられ、買い物などをして(俺は一体何なんだ?)コクーンに戻ってくると、ドタキャンで1枚券が余ったとのこと。 「いい席だから見ていらっしゃいよ」と言われ劇場に入ると、隣は超有名女優だった。 ほんとにいい席で、中央の椅子席の最前列。劇を見るのは3回目になるが、これだけの良い席で見られると感激もひとしおだ。なかなか楽しかった。 今日のコクーンにも宮沢りえとか久本とかいっぱいげーのーじんが来ていた。 |
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シアターコクーンに夏祭浪花鑑を見に行く(2回目)。 人を一所懸命誘うも、チケットも高く、今日の今日では時間もなかなか取れずに俺一人で見に行く羽目になった。 今日は三谷幸喜とか江口洋介・森高千里夫妻などが来ていた。 その後、友だちの女の子が「いい子紹介してあげる」というので3人で会った。 渋谷で魚を食べた後、三軒茶屋の例の店に行く。 今日は、一緒に行った女の子がスパークして大変だったが、最後は結構深刻な話になる。 昔、いじめられた話とかDVの話とかいろいろ・・・。 まあでもはるな愛はポジティブだね。見習わなきゃいけないね。 |
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今日は銀座の料理屋さんでご馳走になる。 大勢人数がいるのかと思ったら、俺一人だった。 久々にいろいろな話を聞いた。 大変そうだなあというのが感想。 体を壊さぬようにお気をつけくださいませ |
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特になにもない一日だった。 初めて近所のスパゲッティ屋でミートソースを食ったのだが、ずいぶんもったいぶった営業姿勢(あいてる時間とか、メニューの数とか)なのにまずかった。 いったいどういうことなのかと思う。 |
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今日は長崎のお土産を持ってはるな愛の店に行った。 なかなか客が来なかったので、ずいぶん長いこと話していた。 そうしたらWAHAHA本舗の梅ちゃんがやってきた。随分渋い感じで、ムッツリしていた。 が、はるな愛のパフォーマンスを見るにつれお和みのようす。なかなか面白かった。 そういや、今日は久々にひなのを見た。相変わらず顔小さい。やっぱりスゴいプロポーション。ひなのはいいよ。うん。 |
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(16日から続く) そんなんで1時間半ほど歩き回って、飲み屋街にたどり着く。 とりあえずは長崎ちゃんぽんを食べる。特にうまくも何ともない。 米軍基地があるということなので、外人バーにでも行こうかと思い、さらに歩くも着きそうな予感がしない。 しょうがないんで、飲み屋街のショットバーみたいな店に入る。 そこでいろいろな話を聞く。 戦争以前は、船が入港するスケジュールを広く公表していたものの最近は教えてくれないんだそうな。で、外人バーのママさんたちは苦労しているそうだ。 けれども、いわゆる「ぶらさがり」族。外人好きの連中は県外からも続々やってきてナンパ待ちをするのだそうな。で、黒人好きと白人好きははっきりタイプが分かれていて一目でわかるんだって。 地元の人もハウステンボスには一度行ったとしてもやっぱり二度目はなかなかいかないんだって。 ・・・結構長々と話したんだけど大したこと聞いてないなあ・・・ とにかくお国言葉が本当に美しかったですな。いいよなあ。方言。 会社の上司はホテルの窓から揚陸艦「サセックス」を写真に収めてた。 俺は窓に近づきもしなかったので、まったく見ることができなかった。 そんなんで、今、軍艦とか基地の様子を書いたホームページめぐりに熱中しています。 |
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今日は長崎に出張に行った。 羽田から長崎空港まで約1時間半。そして長崎空港から今日の目的地である佐世保までバスで1時間半かかる。 梅雨時の晴れ間。高度をさげるにつれ、湾や山林が見えてくる。お椀を伏せたような山に段々畑が作られており、いくつかの作物が整然と植えられている。 鏡のように静かな湾内の片隅に競艇場があり、モーターボートが周回している。 多彩な自然が眼下に広がっている。日本は広い。 ごくふつーの路線バスに乗って、佐世保に向かう。路傍のあちこちにびわがなっている。落ち着いた静かな町並みだ。 途中ハウステンボスを通る。月曜日ということもあり、駐車場に車は皆無。静まりかえった雰囲気だ。再建の道は遠そうだ。 佐世保の町に着き、ホテルにチェックインした後、明日の取材の下見をする。 その後、現地のスタッフとメシを食いに行く。飲み放題食い放題で3000円。どこででも出てくるような脂っこいフライものや焼き鳥などを食う。 どうせなら地元の名産でも食いたいところだが、現地スタッフにしてみればまあどうでもいいのだろう。食い終わってホテルに帰るも、俺の野良犬根性はそれでは収まらない。一人で佐世保の町に出た。 まずは駅に向かって歩く。駅の裏がすぐに港になっている。港町っていいなあと思う。そのままフェリー乗り場まで歩いていく。五島列島への定期便などが出ている。かなり大きな船もある。夜の港は怖い。わずかな灯りに浮かび上がった船体が、波にあわせて桟橋とギシギシぶつかり合う。 フェリー乗り場から町の方に向かって歩く。対岸に明るく照らし出された倉庫がある。その時は知らなかったのだが、米軍の倉庫だった。 佐世保は米軍の揚陸艦「サセックス」が停泊する軍港だった。 |
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今日はシアターコクーンに歌舞伎「夏祭浪花鑑」を見た。 コクーン歌舞伎は初めて見たのだが、凄かった。 舞台奥の扉が開く演出はまあいいとして、とにかくライティングの迫力が凄かった。 義理の父親を殺してしまうシーンの真っ暗い舞台の雰囲気は、まさしく怨念渦巻く地獄絵図のようであった。 かなり感激した。 |
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今日はオフ会に行った。 いつもながらの面々だ。もうちょっと別の知り合いを増やしたいとも思う。 |
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今日はラランジェイラスに行った。ボサノバシンガーのライブがあるのだ。 行ってみたら労務者風のオッサンと痩せた女の子が歌を歌っていた。 で、客とデュエットしていた。 そんなにいいとは思わなかった。 でも歌い終わると、演者の二人がやってきて、酒を飲みながらいろいろ話した。 ミュージカルみたいなものを今度やること。成功したらスペイン本土で、そしてブロードウェイでもやってみたいことなど、随分野心的に夢を語っていた。結構なオッサンなのに・・・。 その後、シンガーの女の子といろいろ話した。ボサノバのこと、仕事のこと、いろいろいろいろ・・・。 で、話が独特のリズムの取り方にいくと、実際にマラカスみたいな楽器とチューニングできるタンバリン「パンデイロ」を持ってきて、音楽にあわせてレッスンとなった 。 マラカスみたいな楽器にはいろいろな種類があった。 オレンジ型のもの、卵型のもの、茶筒型のもの。その中に砂のようなものが入っていて振ると音がするのだ。で、リズムに合わせて振る。簡単そうでなかなか難しい。楽器を水平に持って、前後に振るのだが、前に押し出した時に鳴る音と引いた時に鳴る音のコントロールが難しい。また、時折どうしてもリズムが走ってしまいがちだ。 3〜40分悪戦苦闘して、何とかスローテンポの音楽には合わせられるようになってきた。 奥は深いね。なかなか面白い。 パンデイロもやっぱり難しい。単なるタンバリンと思ったら大間違い。音の高低や質が叩き方によってまったく変わる。 持ち方や叩き方を教わったが、左手の使い方がなかなか難しい。また、高度なテクニックも目の前で披露してくれるのだが、まったくわからない。 なかなか楽しいフライデー・サーティーンだった。 |
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今日は女友達と一緒にはるな愛の店に行った。 昨日電話でお誘いがあり、カネもないし断っていたのだが、どうしても飲みたいと言うので行くことにした。 で、店に行くと女の子が7人。男は愛ちゃんを含めたとしても2人。 まあ、そうなると以前行った二丁目のレズバーじゃないけどヒドイ状況になるね。 一人の子が「今日は私セクシーなスカートなのー」とか言って、カウンターの下からシンクロナイズドスイミングのように足をにょきっと出している。 おい、もうギリでパンツ見えそうだぞ! まあ、みんなで散々歌って踊って騒いで、破廉恥な夜だった。さすがにはるな愛も少々おむずかり気味だった。 で、まだ踊り足りないとか言うので、三宿のクラブに行った。 何だか店のアニバーサリーだそうで、深夜2時頃からラップバンドが何組も何組も出てきてライブしていた。 ひどい。はっきり言ってひどい。 まったくコミックバンド。しかもタチの悪いコミックバンド。ちょいカッコつけたコミックバンドってサイアクでしょ。 かなーり気分が悪くなった。 で、3時まで飲んでて、家帰って、そんでもって会社には遅刻せずにちゃんと行った。 俺は気違いだ。 |
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死にそうになって臥していたわけではなく、ただ残業する気もなかったので、終業と同時に退社して銀座に『マトリックス・リローデッド』を見に行った。 はっきり言ってくーだらなかった。 昨年俺が見た映画のなかでワースト作品だった、ジャン=リュック・ゴダールの『愛の世紀』では、前作『マトリックス』に対して皮肉を込めて愚痴っていた。 「映画とは・・・ひとつひとつの絵を大切に撮らなければならない。構図、背景、色彩、そして光・・・。そのすべてを一枚の絵に収め、芸術として高めなければいかない。ブルーバックの前で演技し、CGで何でも簡単に作る絵には何の価値もない」(俺が勝手にゴダールの言い分をこう解釈してみた) 俺は、ゴダールの考えは間違っていないと思う。しかしながら、映画とは美しい絵画ではなく、そこには人がいて、映画的空間のなかで息づいている。それをゴダールの作品には感じられなくなった。だから昨年のワースト作品なのだ ・・・という話はいいとして、ウォシャウスキー兄弟だ。 前作は、あのゴダールに皮肉を言わせたくなる素晴らしい作品であった、といえる。 俺も前作は良かったと思う。CGを効果的に駆使し、素晴らしい映画空間を作り出していたと思う。 今回の作品は、はっきり言えば、幼稚な作品だ。 1993年に『ジュラシック・パーク』が公開された時、俺は映画館で感動のなかにあった。 ブラキオサウルスがサム・ニールと同じ画面で、明るい太陽の下で、本当に自然に木の葉を食っていた。それまでもCGによる映像作品はいくつもあったわけだが、あの作品ほど自然に融合していた作品は、それまでなかったように思う。 それ以来、俺がCGについて思っていることがある。 CGとは、それがCGであることを意識させなくするのが目的だ、ということ。特に映画作品においては、そうあるべきだと思う。 映画空間とは元より非日常の仮想空間である。非日常の空間を、観る者にとってどれだけリアルに、自然に、共感できる領域に持ってこられるか。というのが勝負である。 人間の五感とは、自ら体験したことに基づき尖鋭化する。たとえば「小指をタンスの角に思いっきりぶつけた」と「足の指をマシンガンで全部吹っ飛ばされた」という2つのことを連想したとき、むしろ前者の方がリアルな痛みを感じるだろう。 映画空間においても、あまりに「ありえねー」と思える描写は白けてしまうのだ。 今回の作品は、はっきり言って「ありえねー」作品だ。現時点では最高峰のCG技術を駆使し「すっげー」という動きを作り出している。ほとんどこれみよがしに! ただ、日進月歩の技術において、こんなものはすぐに陳腐化する。後世に残りうる作品では、ない。全然、ない。 ストーリーも、難解にしようしようとして、薄っぺらなものになっている。長くなったので書かないが、これは、単なるインターネットのモデルを描いたものだ。 こんなものがいい、といっている人、その人はもっと映画見てください。 もともと『マトリックス』の元ネタは『うる星やつら2〜ビューティフルドリーマー〜』だから、まずはそっちを。 |
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今日ははっきり死にそうになった。 ここのところ、風邪からか咳が止まらないわけだが(徐々に治りつつはあるものの)、一度咳をし始めると喘息気味にぜいぜいと吐気が止まらなくなり、息が吸えなくなってしまうのだ。 がらんとした地下鉄の車内で雑誌を読んでいたら、突然発作のように咳が出た。咳は一向に止まらない。ごほごほやっていたのだが・・・ 次の瞬間は目の前が真っ暗で、体の前面が殴られたように痛み、重くなった。心臓が止まりそうなぐらいゆっくり動いているのを感じた。肺に空気が入っていかないような感覚になり、金魚のように口をパクパクした。このまま死ぬかもしれないと思い、恐怖を感じた。ネクタイを緩め、第一ボタンを外して何とか呼吸が整ってきた。見ると、持っていた雑誌が車両の真ん中に投げ出されている。一瞬、気を失ったのかもしれない。 とにかく恐怖を感じた。 この間読んだ嵐山光三郎の『死ぬための教養』を思い出した。彼は吐血して初めて死を意識し、死にたくないと思ったのだそうだ。 俺も死にたくないと思った。 |
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今日は午後ちょこっと病院に行くため半日休暇を取った。 5時頃に水道橋で検診は終わったので暇つぶしになにしようかなとぶらつくこととなった。 まずは、後楽園ホール。ボクシングの興行をやっていた。 メーンがストロー級タイトルマッチだったので、とりあえず、やめた。もう少し重量級がいい。大井競馬の場外も開いていたが、元手が不安なので、パス。 次いで新宿に移動し、映画でも見ようかなということにした。 ディスカウントチケット屋をめぐるも、めぼしい映画はなし。マトリクスとかは、家に前売り券を忘れてきたのでやめた。 そんでもって、新宿西口でやってた太田プロライブに行った。 号泣、福田哲平、インスタントジョンソン、火災報知機、劇団ひとりなどが出ていた。 劇団ひとりは、嫌なヤツだがネタはなかなか面白い。 ま、そこそこって感じだった。入場料2000円・・・。まあいいかな。 そんでもってまた家の近所のラランジェイラスに行ってカイピリーニャを飲んだ。 そんなとこ。 だが、今日もあちこちでげーのーじんを見た。 後楽園ホールでは小金沢君。単なるヤクザだった。 新宿のディスカウントチケット屋では黒谷友香。キレイだった。 太田プロライブでは観客として中村俊介。カッコよかった。 ま、そんなとこ。 |
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日記変わりましたね。ご苦労さまです。 最近、テレビをまあまあ見ているのだが、加藤あいの505iのCFがもの凄く好きだ。 今スポットをガンガン入れているので曲が流れるとテレビに釘付けになる。 加藤あいは一時期休養していて(いろいろ変なウワサもあったが)あまり良い形で復帰できてるとは思えないものの、このCFでの可愛さは絶品だ。 まさにびっくりした、って感じだ。 ケータイのCFも過渡期で、機能紹介をしたいというメーカーと、通信料うんぬんの話をしたい通信会社との意図が絡み合って、イマイチパッとしないものが多い。 たかが15秒で「説明」を過度にしたがるCFはロクなもんじゃない。 ただ、タレントのカッコ良さや可愛さに頼ってCFを打てるほど悠長な市場じゃない。 しかしながら、今の広告・イベント市場の大スポンサーはケータイ関連各社であり、投下量もダントツに多い。 あまり説明、もっと言えばエクスキューズに満ちた表現だけはしないでほしい。見苦しいから。 加藤あいの可愛さをもっと前面に出してくれていいのだ! |
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今日は近所のブラジリアン・バー「ラランジェイラス」に行った。 店内にはサルサがかかっていて、ダンスフロアみたいな空間があった。 今日はダンスのレッスンがあったみたいで、スプレーで頭をかっちり固めたリーマン風の先生が生徒相手にステップを教えていた。 牛肉と野菜のトマト煮か何かを食べた。ちと米が古かったがなかなか美味かった。 今日はブラジルで人気のある「カシャーサ」とかいうさとうきびを原料にしたリキュールがベースの「バチーダ・デ・ラランジャ」と「カイピリーニャ」というカクテルを飲んだ。 「バチーダ・デ・ラランジャ」は「バチーダ」が「かきまぜる」「ラランジャ」がオレンジを意味していて、要はカシャーサのオレンジジュース割りだ。 カシャーサは独特の臭いと酸味があるように感じた(風邪で鼻が詰まってはいるが)が、なかなか美味かった。 「カイピリーニャ」はブラジルで最もポピュラーなカクテルなんだそうだ。タンブラーの中でカットしたライムをつぶし、大さじ1杯ほどの砂糖を入れる。そこにカシャーサを注ぎ、氷を入れてステアしたものだ。 これが、かなり美味い。 ライムの香りと、砂糖(ちょっときめが細かそうな感じの砂糖だった)の甘みがいいのかな?さっぱりしていて飲みやすく、爽快な感じがする。 カシャーサ自体は40度もある酒だが、随分スイスイと喉を通っていく。 これは、飲みすぎちゃうとかなりくるんじゃないかな?女の子だまして飲ませちゃうにはいい酒かもね! 店そのものは常連の巣窟でそんなにいい感じではなかったが、とにかくカイピリーニャとかが気に入ったので、また行きたいと思った。 |
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サンデー毎日を読んでいたら、こんなコラムがあった。 江戸城を再建して観光資源として大いに活用しよう、というのが話の大筋だ。 この運動の旗を振っているのが、小竹さんとかいう元JTBの専務だそうだ。 彼の江戸城再建の理念は次の3点だという。 (1)世界に誇る<オンリーワンの国・日本>の歴史をはぐくんだ古き良き江戸時代を再評価する。 (2)日本人としての自信と誇り、アイデンティティを取り戻す。江戸城はそのシンボルとなりうる。 (3)江戸城が再建されれば、東京最大の観光資源として大きな経済波及効果を生み出す。 で、ことに(1)と(2)は若い層がその意識にならなければ、日本再生につながらない、とのことだ。 愚か者! 俺は声を大にして言いたい。こいつのような売国奴たちが日本をダメにしてきたのだ。オンリーワンの国、日本だあ?日本人としてのアイデンティティだあ? それって何語?オマエらの世代の思考も態度も米国追従の奴隷根性がそもそもの原因なのだ。 そしてさらに観光資源として経済効果だと!?経済偏重の国家運営が「古き良き」資産を破壊し続けてきたんだろうが!経済効果を期待して再建だなんて本末顛倒も甚だしい。経済効果が得られなければまたすぐに破壊か?そんな愚かで浅ましい考えには吐き気をもよおす。 また、経済効果などという話には、外国からの観光収入も含まれているらしい。外国頼みの経済効果で日本のアイデンティティねえ・・・その発想力に驚くよ。 若い人たちに期待だなんて言葉もはっきり言って許せない。結局は負の遺産を次世代に押し付けているだけじゃねえか。オマエらの全資産を投げ打って自分たちのやった失敗を償うのであればわかる。偉そうに「日本再生」だと!?どの面下げて言ってるんだろうね。 俺は江戸城など再建すべきではないと思う。それは、なぜか。 巨大な建造物は、その当時大いなる権力を持った独裁者の施政と、奴隷のように扱われた工員によって作られる。 独裁者と奴隷がいなければ、巨大で壮麗な建造物はできない。これは明らかな史実だ。ガウディの塔が完成しないのは、奴隷がいないから。工員の生命や人権なんてものに考慮していいものが速くなんてできるわけないだろう。 そのようなものをお作りになりたいのですか? 経済に身を売り、外国に隷従してきた先輩たちよ。 |
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連日だが、今日も映画を見に行った。 マイケル・ラドフォード監督の『Bモンキー』だ。 上映は明日までで、前売り券を持っていたので無理やり行ったのだが、開始から30分遅れてしまった。 まあ、たぶん肝心なところを見落としただろうし、そのせいもあって、途中寝てしまったので、またさらにわからなくなってしまった。 あーあ、貧乏根性で見に行かないほうがいいね! でも、それほど面白そうな直感は起きなかったのでまあいいかな。 |
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今日はエミネム主演の『8mile』を見てきた。 結構な入りで驚いた。 映画を見て思ったのは、エミネムのクレバーさだね。 自分の言い訳がましいところや、見栄っ張りなところ、びびりなところ、そんなところを描き出していたのは好感を持てたね。 若いくせに半生記だなんてと思っていた面もあったのだが、描写は良かった。 この映画でのエミネム然り『ボーリング・フォー・コロンバイン』でマイケル・ムーアにインタビューされていたマリリン・マンソンにしてもそうだが、彼らロックスター(総称として用いています)が、自分のことを冷静に客観視している点には、新時代のスター像を感じたね。 自己分析と正確な自己認識、そして自己批判が、彼らの内部にはしっかりあり、そしてそのことを公言してはばからない。それが非常に興味深い点である。 これは、マクルーハンが言うところの視覚化された認識に深くかかわっているのだろうなと思う。 小さいころからテレビを見て育つ。テレビに映し出されたものは容易に理解できるけれども、客観性を持った対象として存在する。スターは、自己認識の過程において、自らを客観視し、第三者として取り扱うことに慣れてきているのかもしれない。 |
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今日はかなり怒ると同時にさらにやる気を失う一件があった。 何度同じ間違いを繰り返せば気が済むのか・・・。 ほとほとあきれ果てた。 しかしながら、状況を鑑みてみると俺の上司にとってはファースト・ミステイクなのだ。 俺の上司だけ次々と代わっていった(別に俺がやめさせたわけでも何でもないが)のであり、結局のところ、そのミステイクの尻拭いをやらなければならないのである。 もういいよ。変えたいんなら、外のパートナーを代えるんじゃなくて俺を代えてくれ。俺は俺のやり方を譲らないし、譲る必要など一片もない。 畜生!殺せ、殺しやがれ!と腐っているのであった。 |
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今日は、うちの社長と他社の社長で対談企画をやった。 ついさっきバトロワを1巻から9巻まで一気読みした。 俺は、桐山を好きじゃないな・・・。 |
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引越し先での片付けやら何やらに忙殺された。 ただただ疲れた。 |