「ゴリヲ」の日記帳
2003年の日記


05月31日(土) 01:23:22

朝から大雨だ。
ごみを捨てたり、車に荷物を積んだりするたびにずぶ濡れになる。
最悪に疲れた・・・。



05月30日(金) 01:21:26

いよいよ明日が引越しだ。
早く帰って片づけをしなければなのだが、こういう日に限って突発的に仕事が入る。
なんだかんだで帰宅が11時頃になってしまう。
田舎から上京してきてくれた母の冷たい視線を浴びながらも何とか片づけを行った。前途多難・・・。




05月29日(木) 01:18:59

何やってたか覚えてないな。
木曜日ねえ・・・文春でも買ってただろうか?



05月28日(水) 01:15:23

今日は、銀座のシネ・ラ・セットに塚本晋也の新作『六月の蛇』を見に行った。
エロかった。かなりね。
黒沢あすかはよかったね。エロくて。神足裕司の棒読み台詞もよかった。
映画は全編青みがかったモノトーンで統一されており、なかなかの雰囲気をかもし出していた。先週見た『双生児』では、時折カラーのシーンで興ざめした点もあったので、その点今作品はよかったと思う。
スクリーンサイズも一般的なシネスコサイズとかではなく、小さな正方形で画角を切り取られてあり、監督本人もライナーノーツで書いていたが、のぞき窓のような効果で、よい雰囲気をかもし出していた。

しかしながら・・・
何より気になったのは、俺の前の席に座っていた、気の弱そうなめがねのおっさんだ。

ここのところ、風邪気味で咳が止まらない俺。確かに今のご時世、マスクもせずに咳をゴホゴホやっているオレは迷惑かもしれない。
しかしながら、もう、何だろう・・・悩ましげに身をくねらせるがごとく、背中で俺に「イヤイヤ」のサインを送るのはいかがなものだろう?
そのあまりに極端な仕草に「この人は、きっと防菌グッズとかをいっぱい買って安心しながら、防菌グッズでは防げない悪質な菌にやられちゃう人なんだなあ、と思った。
過剰はよくないね。みっともない。



05月27日(火) 00:51:43

火曜日は何してたっけな・・・。
ああ、そうだった。
キアヌ話を自慢し倒そうとしてたんだが、寝坊して会社に遅刻したんだった。

で、あんまり近隣の部署では自慢できずによそに行って自慢してたんだった。
仲のよい会社の受付嬢に自慢したら「電話してくれたらすぐ行ったのに!」だって!
俺、電話番号知らんっちゅうねん!!



05月26日(月) 18:31:35

俺の日記を見ている人は、コイツよくゲーノージンと会うよなあ・・・。と思っているかもしれない。
自分でもざっと読み返してみたんだが、5月に入って、元サッカー選手の長谷川健太にwyseとかいうバンド、三原じゅん子にコアラ、石橋貴明と秋元康、根本はるみ・・・などを仕事や舞台、パーティの席上ではなくオフの場で見かけている。

そして、ついに・・・

それらの小物を遥かに凌駕する、世界的大スターと会ってしまった!!!!

もったいぶるまい、その名は「キアヌ・リーブス」だ!

昨日、西麻布のバーで、女友達と「今日は六本木ヒルズで試写会やってたから、いるかもね」などと話しながら店に行くと・・・
店内はがらーんとした感じ。むしろ静かな雰囲気が漂っていた。ガイジンのグループがひとかたまりで飲んでいるものの、どうやらキアヌらしき姿は発見できず。
「なーんだ、いないね」などと話しながら飲み、落ち着いてから、もう一度ガイジングループを見る。
キアヌがあんなに汚いヒゲを生やしていることを知らなかった俺は、「ほら、あそこにキアヌのお兄さんがいるよ」なんて冗談で言うと、同行の女友達の目の色が変わった。

女「えー、やっぱりキアヌだよ!」
俺「うそー?あんな汚いヒゲ生やしてんの!?」
女「ワイドショーで見たよ!渦巻いてるまだらヒゲ。汚いなって思ってたんだ」
俺「うっそだろ〜」

とまだ半信半疑で5メートルほど先にいる男をじーっと見つめる。
なかなか信じられなかったのだが、その「彼」が立ち上がり、俺の脇を抜けてトイレに入った時、疑問はいっぺんに解消した。

キアヌじゃん!

もう、それからは浮き足だった感じ。その雰囲気が店内全体に伝わったのか、店中がキアヌのほうばかりを見て、会話も何もあったもんじゃない。

キアヌは紺のジャケットに同系のチノパン、だったと思うんだが・・・ラフな格好でボディガードとかはおらず、日本人のスタッフが1名ついているだけ。
2人で楽しげに話した後、2時頃だったかな。帰る雰囲気を醸し出してきた。
もうそっから店内はそわそわ。みんながカメラ付きケータイを取り出し、席を立ってうろうろ。
俺も、車の中に置きっぱなしのカメラを取りに急いで店外へ出る。
コンビニでフイルムを買い、もたもたすんなレジごるぁ!と怒りつつ店に戻ると、Oh!No!キアヌと出口の階段のところでバッタリ。
アワアワ状態になり、写真も撮れず轟沈。

・・・もっと早く取りに戻っていればよかった。あーあ。あんなに気さくに写真撮らせるなんて思わなかったからな・・・



05月25日(日) 11:09:06

さて、今日はいよいよ昔付き合ってた女と会う。
二人きりではない。彼女と、彼女の女友達と、俺。女2対男1でのデートだ。
正直、もう一度付き合いたい気分はある。でもまあ、新しい彼氏はいるようだ。
まったく連絡とらないよりもいいだろう。そのうち変わることもある。そんな思いから誘ってみた。
今日は最近のお気に入り「Tica」のライブだ。武田カオリの声は心地よい。
2回公演の最初の回で、まだ外が明るいなかでのライブだったが、まあまあ良かった。
で、予約していた「青龍門」へ。アトラクションはなかなか良く。楽しそうだった。
そんなんで、ご飯食べて・・・実はまだ9時頃だった。
まだ帰したくないな、そんな思いからもう一軒どう?と誘う。
行き先は必殺のはるな愛の店だ。もうはるな愛の美しさに驚天動地。面白さに抱腹絶倒。もうそれはそれは大感激していただいた。
そんなんで、結局俺が車で送るしかなくなり、まあ作戦通り。先に彼女の友だちを送り、その後に彼女の家まで送る。
彼がいるということは聞いているので、とにかくまだ好きだとかそんなことを伝えた。で、また遊ぼうね、と言って帰った。



05月24日(土) 11:06:41

今日は、久々に電気量販店の取材に行った。
開店前の朝礼から取材に入ったわけだが、面白かったね。
気合を入れるための掛け声や、朝の注意事項・・・。
「言っても聞かない場合は、蹴りますから」
・・・何と原始的で野蛮なメッセージなんでしょう!
でも、たまにはこのような雰囲気もいいね。結構楽しかった。



05月23日(金) 11:05:21

今日は、会社が終わった後、横浜の赤レンガ倉庫に行った。
日曜日に昔付き合っていた女と久々に会い、赤レンガ倉庫エリアにある「モーションブルーヨコハマ」に行くので、下見が目的だ。
土地カンのあまりないところなので、車でぐるぐる回ってルートを探索し、その後、メシ屋に予約を入れに行った。
赤レンガ倉庫の中にもなかなか面白い店があったのだが、知り合いのカメラマンに「ここのアトラクションはなかなかですよ」と教えられた桜木町駅前の青龍門にした。あんまり美味しくはないと思うが、庶民的な子で、以前付き合っていた時は、小洒落た店に連れて行くたびに何となく居心地悪そうにしていたので、まあこの程度がいいのではないかと思う。
ざっと下見して、その後にはるな愛の店に行く。随分混んでいたので、一杯だけ飲んで帰る。



05月22日(木) 04:22:44

何だか今久しぶりに井上晴美を(テレビで)見た。
年とった感じはするが、まだまだいい感じだった。
サーチしてみたんだが、エロ画像サイトばっかりでファンサイトってないようだ。
小口さんとこの事務所に所属してる割には仕事がないみたい。
もちょっと頑張ってもらいたいものだ。

タレントの栄枯盛衰を見るといろいろ感じることはあるね。
若いうちに成功を収める人間は、まず絶対的な身体能力を持っている。顔が整っている、とか、巨乳であるとか(詰め物もあるけどね)・・・。もちろんスポーツ選手なども同様に身体能力が図抜けて高いことが成功の要因である。

で、はっきり言って彼らの寿命は短い。というか、身体能力の限界はすぐにやってくる。30代半ばで古参・ベテランと呼ばれ、だましだましやっていくこととなる。
まあ、彼らほど露骨ではないが、俺のようなふつーの人間においてももはや身体能力は衰える一方。肉体の持つ絶対的な輝きなどを獲得することはもはやありえない。
人は万能ではない。短い人生のなかで限られたことしかできない。失うことによって自分の本当の役割にたどりつくのだと思う。



05月21日(水) 01:41:28

今日は塚本晋也の『双生児』を見た。一度強烈にビクッとした。
結構ストーリーはシンプルだった。陳腐になりそうなギリギリのところで何とか持ちこたえた映画だったように思う。

しかし!今日もまた養老先生の本に書いてあったことを思い出した。
「経済」について話した箇所だ。

落語で、こんな話がある。(俺は元ネタを知らんのだが)
熊さんと八っあんが、天秤棒に酒樽をぶら下げて歩いている。
そんで、まずは熊さんが八っあんに10文払って酒樽から酒を飲む。
次に八っあんが熊さんに10文払って酒樽から酒を飲む。
ふたりの間をいったりきたりしている10文は変わんない。
けれども中の酒はどんどん減っていく。

経済とはそんなものだ。通貨などという強制理解の概念のやり取りが行われているだけであり、確実に減っている何かがあるのだ。

たとえばそれは石油であるかもしれない。
動物であるかもしれない。人間であるかもしれない。

カネなんて、というつもりもないが、要はカネは共同体を行ったりきたりしている共同幻想である。共同幻想が崩れたとき、それをいくら積み上げたとしても人間の腹はふくれないのだ。
だから、カネが原因で死んだりするのはおかしいと思う。何が実体あるもので何が幻想の産物であるか区別する必要があるだろう。
まあ「死という誘惑」があるのは確かだけどね。



05月20日(火) 01:19:49

今日は老舗の劇団で芝居やってる大学時代の同級生と会った。
ひどい雨でずぶ濡れになりながら稽古場に行くと「会議中だからちょっと待ってて」とのこと。
しょうがないんで、稽古場で自主稽古やってた知り合いの女優さんの稽古をずーっと見てた。
同じ脚本を試行錯誤しながら、何度も何度も繰り返し稽古していた。

最初のシーンは、もう少し突き放した感じのほうがいいんじゃない?
このセリフは、こう解釈できるから、もう少し抑揚をつけたほうがいいんじゃない?
座る位置は、こっちのほうがいいんじゃない?

そんなことを言い合いながら、30行ぐらいの箇所を何度も何度も繰り返し演じていた。
一応大学では演劇のゼミにも所属していたわけだが、ただ漫然と購読しただけ。こうして芝居を練り上げていく過程を見るのはまあ初めてだったので楽しかった・・・と言えるが、何せ待たされた時間が長かった。約2時間。
まあいい加減飽きた頃に会議は終わったらしい。

そんでもって近所の焼肉屋に行く。
久々だったのだが、いろいろと大変らしい。ストーカーまがいに付きまとわれているらしい。うんうん、なるほどね・・・と愚痴を聞いていると、さっき稽古していた女優さんも合流。いろいろな話をする。
次いで、その女優さんのご亭主も合流。同じ劇団の演出家だ。
で、劇団の中堅どころ三人が集まったところで、先ほど俺が2時間待った会議の続きみたいなやり取りがはじまる。
予算がどうの、誰がどの興行に行くかうんぬんかんぬん。話はだんだん白熱してくる・・・。

まあ、そんなんで話を聞きっぱなしではあったがまあ楽しかった。
みんなから1000円ずつ徴収し残り1万ちょいは俺が払う。
まあいい、昔あいつにおごったんだぜ!と誇らしく言えるようになってくれい!



05月19日(月) 01:02:14

今日はまーた打ち合わせ。
もう打ち合わせばっかでとにかく疲れる。
素人が面突き合わせて、どうしたらいいんだろう?って首をかしげてる会議はもうたくさんだ。
個人作業でやらせてほしいものだ。
足を引っ張るだけの部下・・・ならまだしも、外注業者など要らぬ。
早々に退去して欲しい。
というか俺がエスケープしたいよ。もう・・・。



05月18日(日) 00:44:05

今日はだるくて何もしなかった。
いろいろするべきことはあるのだが、どーにもダルイ。
そんなんで久々に「ガキ使い」を見た。
ボーリング対決をやってた。
山崎は相変わらずだった。
おしまい!



05月17日(土) 16:11:34

「僕の魔法使い」は面白いなあ・・・。宮藤官九郎はやっぱりいいわ。

で、今日は久々に映画系のチャットに行ったんだけど、そこで『バトルロワイヤル2』の話が出てた。
この時期に、あんな内容の映画を上映する日本はおかしい、チャットに来た一人はそう主張した。
俺は、まったくそう思わない。バンバン上映したほうがいい。むしろ上映すべきだと思う。
この間、深夜に戦争報道についての番組があった。何を信じたら良いのかわからない。たれ流しは無責任だ。そんな主張が繰り返されていたように感じる。
俺はむしろ違う。マスメディアは単にたれ流すべきだと思う。メディアの中途半端な主張と婉曲した報道が情報に加味されているので、わけがわからなくなるのだ。

つまり、何が言いたいかと言えば、馬鹿げた規制や検閲で情報を捻じ曲げるな、と言いたいのだ。
戦争終結後の今、テロリズムを想起させる「バトロワ」はダメ?死体の映像は映しちゃダメ?・・・馬鹿らしい。誰がそう決めたの?テレビ局の上層部?それとも官僚?そうした情報の生殺与奪を、これ以上ワケのわからん人たちに委ねたいのか?
戦争があったら、ぶっ殺されていく人の姿を映したらいい。うめき苦しみ、のたうち回り、死後硬直が起こるまでを映したらいい。どれだけ惨いことかわかるだろう。(俺も見たことはないが)

忘れてはいけないのは、マスメディアに対して絶対的な決定権を持っているのは自分なのだ。映画・・・?見に行かなきゃいい。テレビ・・・?消せ!意識しなくても見せられちゃう・・・?無視しろ!

子供は別だが、成熟した人間であれば、あらゆる判断を他者に委ねるべきではない。楽ではないが、全部自分のアタマで考えろ。いらない情報は無視しろ。日本のどこかでバカによる殺人がおきたって、そんなものは自分と関係ない。そんな情報を知ったって単に不愉快になるだけだから無視すればいい。

だから、毎朝見るテレビは「おはスタ」と決めているのだ。



05月16日(金) 01:54:58

「わかる、わかるよ。あなたの気持ちはよーくわかる」
こんなものは大嘘だ。

まあ、上述のようなうさんくさい言い方だと、誰もが嘘を瞬時に見抜くことができるだろう。
それだけではなく、誰かが自分をわかってくれる、なんてことは【ない】ということを言いたいのだ。

単純な話だ。腕を骨折した痛みを誰かがわかってくれる、共感してくれることなんてあるだろうか?自分の痛感神経は「君の痛み、わかるよ」などと抜かす他人には繋がっていない。
いわゆる思考についてもそうだ。自分の脳に入力された信号は、各種神経経路をたどり「運動」として出力されるわけだが、他人の脳に同じ信号は入力されないし、出力もされない。別個の個体である以上、完全に同一の代謝反応が得られるわけもないのだ。

「気持ちがわかる」なんて言い草は、ただ単に、他人が、他人の体験した事象をもとに勝手に類推し、強制的にそれを共通認識として信じ込ませようとしているに過ぎないのだ。

俺の敬愛する養老孟司先生は、近著『バカの壁』でこんな風に書いている。
人は、自分の脳を何か高級なものと思いたがるが、なんてことはない。単純な計算機なのだ。と。
そして、脳が司る人間の行動すべてについて【 y=ax 】という一次方程式で求められる、というのだ。
yというのは行動のことだ。そして、脳に加わるさまざまな刺激を変数a、で、何だったけな。xは刺激が与えられる脳をさすんだったかな?
で、その変数aの値の大小によって行動が変化するというものだ。
たとえば、親父がいくら説教しても子が聞かない場合、親父の説教に対する変数aの値には「0」が入っているわけで、何の行動にも結びつかない。そういう考え方だ。

で、養老先生は変数aを経験の重みだという。
パニックに陥る、どうしてよいかわからなくなる。そういった時は、変数aに何を入れてよいかわからず、行動yの値が大きく振れることを指すわけだ。
で、経験を重ねていくと入力すべき変数aのバリエーションが増え、行動値yが安定してくるということだろう。

つまりは、変数aのケーススタディを積み重ねさえすれば、人の気持ちを「わかったふり」をすることができる。思考のパターンなどというものは、そうそう複雑な構造から成っているものではない。

こうした、意外なほど単純な思考のパターンを利用したものが「占い」であり、さらに言えば「宗教」であろう。それらは、統計に基づいた強制了解の領域で成立している。

だんだん話しがずれてきたような気もするが、自分固有の体験に基づいた行動は、他人と共有できるものでなく、理解されるものでもない。
典型的なパターンに当てはめられ、もしくは他人の体験に強制的にシンクロさせられ、わかったような口を利かれる。
それが、相手の気持ちをわかる、ということの(まあネガティブな側面から見たものだが)正体であり、それ以上でもそれ以下でもないのである。



05月15日(木) 09:01:09

この間、髪を切った。
髭を剃られながら、俺も随分と人を信頼して生きているのだなあと感心した。

初めて会う理髪師に無防備にのど笛を晒して、切れ味鋭い剃刀を当てられている。
彼に殺意があれば俺は死ぬだろう。殺意がなくとも、狭い店内で誰かに押された拍子にでも頚動脈をぐさりとやられれば、瀕死の状態になるだろう。
俺の髪を切っている理髪師がどんな人間か、またどんな精神状態にあるのか俺はまったく知らずして剃刀を当てられるのだ。随分と人を信頼したもんだ。

これは、ほとんどすべての局面で当てはまる話ではある。現代人は、何の気なしに車や飛行機に乗り、高層ビルに登る。「絶対に安全だ」などとなぜ思えるのだろう?交通事故での死者は毎年約1万人もいる。スピードを出さなければ大丈夫と思っているかもしれないが、もし車輪が外れたらコントロールできるのだろうか?車輪が外れないと確信できるほどきちんと整備をしているのだろうか?そして、自分が立ったベランダが落下しないとどうして確信できるのだろう?

性善、性悪などさまざまな説法があるが、共同体における他人との関わりの場面では、共通化し、普遍化した意識が不可欠だ。
「あの人はちゃんと資格を取得した人だから大丈夫」「こんな立派なお店だから大丈夫」・・・こうしたある共同体に普遍した認識や「以前大丈夫だったから今度も平気だろう」「こんなに多くの人が入っているから大丈夫だろう」といった経験則に基づくある種の思考停止が生きていく上では大切なのだ。

しかしながら、こうした思考停止が共同体運営の阻害要因になりつつあるのが現代である。その阻害要因を作り出す諸悪の根源はマスメディアである。
ここのところ、小学生にガソリンをかけたり通り魔やったりする基地外が多く出回っている(ように感じる。本当は極めて稀であるのに)。
が、それは社会の底辺に位置する、糞虫と同等のとある個人がしでかしたことであり、そんな糞虫は処理すればいいだけのことだ。むやみに恐怖心を持つ必要などない。毅然と黙殺することが当然の振る舞いである。
ショッキングなシーンで耳目を集め「視聴率」とやらを獲得したいという浅ましい商業主義的観点を、思考停止した状態で擦り込まれてしまうと、どんどんファナティックになっていく。

通り魔に殺されるより、交通事故死のほうが圧倒的に多いのに・・・。ガソリンかけられて火だるまになるより、寝タバコで火事になるほうが多いのに・・・。

「福岡で通り魔が出てから、ひとりで登校させるのが怖くて」などと言い、首都高速を120キロで突っ走って毎朝子供を学校に送る(あんまりしっくり来ない例えだけれど)なんて例があったとして、どっちが危険なのだろう?
テレビで感じる恐怖を、実世界で感じる恐怖と同列に感じたり、むしろテレビで強制された恐怖に重きを置いてしまうことは愚かしいという他ない。

リアルで身近にある恐怖と、テレビという媒体を通じて伝えられる恐怖は同列に扱うべきでない。この2つは別物だという意識をはっきり持っていないと、ハロウィーンでお菓子をもらいに来た子供を射殺したり、また逆に目の前で殺人が起こっても呆然と傍観するだけの人間になってしまう。
自分の身に迫る危機をきちんと感じ取れるように、自分の五感と身体的能力を高めるのが第一だ。マスメディアのように、外在する意識は自分のものではないことをしっかり理解しなければならないと思う。



05月14日(水) 02:23:44

今日は久々にラッキーデイだった。
会社が終わった後、高島屋テアトルタイムズスクエアでリバイバル上演中の『キャラバン』を見に行った。
9時からの上映時間に遅れること約15分。以前にも見たことのあるお気に入りの映画なので、途中でもいいやと思って入ろうと思ったのだが、受付カウンターにも劇場入り口付近にも人は皆無だった。
劇場の扉を開けて中に入ってみると、どうやら映写機の故障で上映開始が遅れているようす。劇場の職員はおむずかり気味のお客さん対応で大忙し。俺一人入ろうが何しようがまったく眼中になかった。
俺はまんまと劇場中央付近の椅子に陣取ると、ほどなく修理が終わり上映開始となった『キャラバン』を最初から最後までしっかり堪能。
おまけに帰りには「本日は映写機の故障で皆さまにはたいへんご迷惑をおかけしました。当劇場系列でいつでもご鑑賞いただける招待券を配付いたします」ときたもんだ!
いやー、もらって帰るのはあまりに図々しいなあ!と思いつつ、もらわずに帰ると、「あ!この客はうちの劇場の失態に怒り、二度と足を運ばないつもりなんだな!」とか妙に思い悩んでしまうかもしれないので、仕方なくもらって帰ってきた。
まさにダブルただ!なかなかない経験ができて良かった。(実は結構ただで何かする、っていう機会は多いのだけれど・・・)

あ、そういえば、映画を見るために高島屋に行ったら、あの大巨乳の根本はるみがいたな。たぶん高島屋の食品店街でメシでも食ってたんだろう。
服の上からでも爆乳はしっかりと確認できた。ただ、大して可愛くもないし、フツーの姉ちゃんだな。
まあでもこの巨乳で運が向いたかもしれぬ。今度グラビアで見たら乳を拝んでおこう。



05月13日(火) 01:43:51

冷やし中華が好きだ。
季節など関係なく一年中食いたいと思う。焼肉屋に冷麺は一年中あるのだからラーメン屋に冷やし中華があっても何もおかしくはない。ただ単に冬の期間に冷たい水に手を晒したくないだけだろうと思う。

まあいい。
とにかく冷やし中華の季節になって、どこでもかしこでも冷やしが食えるようになった。昔は醤油だれオンリーだったのだが、最近はごまだれも好きになった。楽しみの幅が広かったといえる。
どこの店がいいってこともないが、あえて挙げればげんこつ屋の「涼麺」がいいかな。ごまだれでなかなか美味しい。

ただ、何とも気になることが1点ある。それは、冷やし中華にほぼ必ず添えられる「紅しょうが」だ。俺は、紅しょうがが大っキライだ。
何であんなに合成着色料たっぷりの不自然なものを添えなければならないのだろう。そういえばカレーの福神漬けもそうだ。
口直しだとか何とか、そんな目的で添えている(と思われる)わけだが、まったくナンセンスだ。口が飽きたら、その時に何か別のものに箸を向けたら良い。デフォルトの状態で汚れた味の気持ち悪い添え物を付けないでほしい。
悪いことに、紅しょうがも福神漬けも、汁を出しやがる。米に触れれば顕著だが、白いものををぶざまに変色させる暴力的な力を持っている。
なんだか混じった味の変な食い物を食うのは頭に来る。
一応「紅しょうが抜きで」とか言っているのだが、ただ単に機械的に動くあほんだら料理人は自動的に乗せてきたりしやがる。

ふざけんな!

・・・というわけで今日は紅しょうが抜いてくださいといったにも関わらず、載せられて怒ったのであった・・・。



05月12日(月) 02:20:03

さて、昨日は競馬で勝った自慢話に終始してしまったわけだが、ホントはいろいろあった。

どっかに投稿しようかと思って若干躊躇したんだが、書くと・・・

俺は昨日は渋谷の場外馬券売場にいたわけだ。2階の払戻しコーナー近くのモニターでレースを観戦していると、水色のサマーセーターにデニムのパンツと軽装ながらペールブラウンのサングラス越しにやたらと鋭い視線を送っている女性を発見。その「組の若い衆とお忍びで遊びに来てる極妻」風の女性をまじまじと見ると、なんとあの「顔はやめときな。ボディボディ」で有名な三原じゅん子姐さんだった!

もしや!と思い周囲を見回すと、何だかわからんキャップにミリタリー風の出で立ちをしたコアラもいた!その図はやっぱり姐さんと小僧・・・。
他に気づいている人がいるかと思って見回すも、みんなNHKマイルカップの予想に夢中なのか無視・・・。

姐さん「ねえねえ、ウインクリューガーはどう?」
コアラ「気になるんやけど、鞍上がコーシローやからなあ」

とコアラ決断するも、結果幸四郎が好騎乗し勝利。じゅん子婦夫は惨敗した模様。
最終レースまで粘りに粘って勝負したものの、どうやら結果は芳しくなかったようだ。

コアラが、かかってきたケータイに「ええ。ええ。何をおっしゃいますやら。お世話になっております」とヘコヘコするさまを、殺さんばかりの視線で睨み「チッ」と舌打ちするじゅん子姐さんの迫力には、背筋も凍る思いを味わった。


・・・うーんイマイチ。。。俺はハガキ職人にゃなれねえな。

まあ、そんでもって場外馬券売り場を出て駐車場に向かうと、近所のカフェで秋元康と石橋貴明を発見。ボブを使い走りに、競馬を堪能していたらしい。
石橋は姿勢が悪かったな・・・。

まあ、そんなんで、わずかばかり勝った金で思わずヘルスに行っちゃったわけだ。
昨日はちょっと攻めてたら、女の子がやたらに感じるので、つい入れてしもうた。なかなかいい声だった・・・。



05月11日(日) 01:28:47

今日は、久しぶりに競馬に行った。半年ぶりぐらいだろうか?
競馬に行くと消耗するので、最近はなかなかいかないのだ。

で、競馬に行くときは、あまりギャンブルだと思わずに、必死でカネを取りに行くのだ。
今日の予算は4万円。これを6万円にするのが目標である。
1.5倍。着実に増やすという執念を持って競馬に挑む。

今日の狙い目は東京の9レース。シルキーラグーンとジーティーホーラーの馬連でまずは3倍弱の配当を取りに行く。1点買い1万円。が、2着3着で沈没・・・。気を取り直して京都10レースに走る。久々だがウインシュナイトが一番人気。重馬場が気になるが、実力が抜けていると思われるので単勝1点を弱めに5000円投入。最後多少ヨレながらも競り勝ち260円。マイナス2000円まで盛り返す。やめときゃいいのに東京10レースに行ってしまう。パドックを見てタイムパラドックスとクーリンガーの一番人気の組み合わせでいけると思い、一点買い1万円。和田のどアホが出遅れた上に斜行。もともと馬券的にはアカンかったわけだが、ここで目が覚める。そういや、2頭当てるのは無理だった。1頭だけで行こうと思い、新潟11レースのフリートマッハの複勝一点1万円。ここまで5勝の北村に賭け勝負。見事3着に粘り280円。ここでようやくプラス3000円。お遊びでNHKマイルカップ、ヒューマから連単5点5000円購入。アラアラで惨敗。ここで、勝負レースを新潟の最終に決め、改めて鞍上北村のダイワコジーンの複勝を狙う。どーんと2万5千円。・・・惨敗。目の色を変えて東京の最終に挑む。武豊のビルアンドクーが抜けた一番人気で1倍台。これで連は外せまいと確信して相手1頭だけを探しに行く。二番人気石崎のエビスオペラでいけると確信し、一点1万円の最終勝負。何とか粘って馬連630円。3勝3敗。投資額4万円で6万3千円。なんとかギリギリ勝つことができた。

まあ、こうして自慢をしているわけだがとにかくしんどかった。
必死にならないと勝てないのでそんなに頻繁に行く気にならない。
あまり行きたくないものだ。



05月10日(土) 02:00:53

毎週土曜日は楽しみにしているドラマがある。
もともとテレビは流しているだけでほとんど見ておらず、ましてドラマなどを続けて見る趣味はまるでないと言える。
そんな俺がハマったのは「ぼくの魔法使い」だ。
伊藤英明と篠原涼子が主演の「クドカン」メイドのドラマである。
「ミッたん」と「ルミたん」のバカップルが主人公。西村雅彦や古田新太をはじめ阿部サダヲや大倉孝司、そして「あの」井川遥もなかなか良い。

篠原涼子は単なるバカだとばかり思っていたのだが、前クールの「HR」といい、なかなかの役者であることが判明している。
よく日曜昼にやっている泉谷しげるとのラジオ番組(文化放送)を車で聞くのだが、バカはバカなんだが、実に鋭い。面白い。
最近、篠原涼子のかなりのファンになりつつある。

同じ涼子では、ヒロスエのライフカードのCFは素晴らしいの一言だ。
確かに岩井俊二はすごいと思うよ。けれどもヒロスエってやっぱり凄い輝きを持った女性であることがはっきりとわかる。
彼女は高知の田舎から出てきたわけだが、たぶん日本中のどんな田舎にいたって、彼女は絶対にスターダムにのし上がったはずだ。はっきり言って天才。隠せない天分が彼女にはあると思う。
ふたりの涼子に注目しているところだ。



05月06日(火) 00:28:23

結局、ほとんど寝ずに会社に行った。
一か月ぶりに旧社屋に行ったわけだが、やっぱり慣れた環境はいいものだ。
俺は大体において、変わるということが苦手かもしれない。
古いもののほうがいい。やっぱりそう思ってしまう。
新しもの好きではあるのだが傍観するだけで、慣れるのには時間がかかる。
むしろ、変わらねばならないことがわかっているので「下見」の意味あいでいろいろなものに触れているともいえる。

ある一点で止まっていれば本当は幸せなんだろう。
でも良きにせよ悪しきにせよ、変わっていってしまう。
変わっていってしまう。



05月05日(月) 02:57:19

今日は、オンナ友だちと会った。
何でも、昨晩クラブで財布をスラれたとのことで、カード類もすっかりやられ、140円しかないと言っていたので、カネを貸したのだ。
とりあえずスーパーで食材とかを買い込んでオンナの家に行く。

で、まずは外苑前のメシ屋に行った。
そしたら、ちょうどwyseとかいうバンドのツアー打ち上げに遭遇した。
全国19か所でライブを行い、ちょうどこの日東京での千秋楽を終えての打ち上げだったらしい。
アツく語ってたな・・・。これからさらにビッグになるためには、俺らはどうしなければいけないとか、そんな話。俺らは二人ともwyseなんて知らなかったので「若いなあ」とか言って笑っていたわけだがファンとかには垂涎の状況だったのかなあと思う。

そんでもって、渋谷のバーに行った。
そしたら、そこには元サッカー選手の長谷川健太がいた。仲間3人で来ており、筑波大学時代のこととか大声でいろいろ話していた。狭い店だし、聞くつもりがなくとも聞こえてくる。
ゴンちゃんの話とか、ユニバーシアードに選ばれたときの話だとか、いろいろ話していた。
何だかんだで深夜1時頃になる。
まずいね、6日から会社なのにな・・・。



05月04日(日) 02:41:59

今日は山歩きをしてきた。
ダム湖の周りを、犬を連れて。
貯水量がかなり少なかった。もしかすると、この夏は水不足に悩まされることになるかもしれない。
しかし、ダムというのは怖い。
よくもこれだけ巨大な建造物を作るものだ。
自然破壊とかどうこう言うつもりはないが、これだけのものを作るにはやはり大きな犠牲が必要となるのだろうなと思った。
昔見たAVで、出てくる女の子の独白シーンがあり、そこで父親がダム工事で滑落死した話を涙を流しながらしていた。無論、そこの箇所は早送りしてオナニーするわけだが、その話は非常に印象に残っている。

ダムの底に沈んだ村、滑落死した作業員・・・。
ダムには何か暗い怨念のようなものが沈殿しているように感じる。



05月03日(土) 02:31:55

今日は引越しの作業をした。
新住所の周りを散策したのだが、あまり魅力的な店がなくがっかりだ。
ブラジリアンバーっていうのがあって、それには若干興味が惹かれるけどね・・・。



05月02日(金) 02:30:01

今日は会社だった。
結局1日の夜ほとんど寝ることが出来なかったので、かなりしんどかった。
で、しんどかったにも関わらず、またはるな愛の店に行った。
・・・ラスト(am3時)まで。
今日は久々に新ネタを見た。なかなか良かった。



05月01日(木) 02:26:24

映画の日だったので、『星に願いを。』と『魔界転生』の2本を見てきた。
竹内結子、これまではいいと思ってなかったんだけど可愛いな。
年取ってからもやってけそうな顔だし、スターダストの看板になるんだろうね。やっぱ。
『魔界転生』は窪塚くん主演だって書いてあったんだけど、あれは佐藤浩市が主演だよ。
・・・まあそんなところが感想。どっちもイマイチだった。

まあそんなこんなで、ここのところ日本映画をたくさん見ているわけだ。
見ていて思うのは、ドラマ作りが中途半端だよなあ、ってこと。
別にドラマがあればいいというわけじゃない。ないならないで、何かのこだわりを持って作品づくりに進んでもらえばいい。
ドラマをしっかりと作りたいなら、きちんと起承転結、特に「結」の部分はきちんと描いてほしいと思う。
もちろんハリウッド流の、気恥ずかしいまでに明白なラスト「Love is All」に陥る必要はまったくない。ただ、1時間半なり2時間映画を見てきて、最後の場面がこれかよ、と思わせるものは極力避けてもらいたい。描ききれないテーマであれば、最初から違うルートで描いて欲しい。
ここのところ生活感に密着したテーマ以外、どうにもこうにも「ふやけた」ストーリーが多くなってしまうのは、書き手の力量不足だとしか言いようがない。
この両作品ともはっきりスタッフの力量不足が目に見える。
もっとじっくり作りこもうよ。