「ゴリヲ」の日記帳 |
|
結局なんだかんだで11時過ぎまで会社にいた。 二日連続である。 まあやりたいことがあるといえばあるのだが、残業してもイマイチ進みは悪い。というのも、やろうとしていることが少々大掛かりなことで、日常業務との並行で簡単にできるような内容ではない。 煩雑な業務を誰かヘルプしてくれないものかと思う。 |
|
今日は、午前中特に打ち合わせの予定が入っていなかったため、長引いている風邪を何とかするため、医者にでも行こうと思っていた。 で、会社に電話して、ちょっと寝て、それから病院行って、早めに会社行こう・・・とか思っていたら、そのまんまずーっと寝てしまった。 で、起きたら小堺さんが出てる。 ヲイヲイ!もう会社行かなきゃあかんやん! ということで・・・急いで出ないのが俺なんだよな・・・。3時からは打ち合わせがあるのだが、メシ食ったりしつつ、だらだらしてたら、3時にまで遅れそうになった。 何とか会議に間に合って(会議の主催者なのにこの体たらくだ・・・)、話をしていると「何だよ!結局何にも決まってないんじゃん!」と怒ることしきり。 しょーがない。結局、企画書とかは俺がまとめ担当か・・・と結局11時半過ぎまで残業して何とかまとめた。 イイカゲンサラリーマンだなあ。自由労働者。 |
|
知り合いの芝居を見に行った。 この劇団の主宰(兼脚本家)にはすごく期待しているので、今回の脚本には若干失望した。 これは俺の邪推に過ぎぬかもしれないが、彼は今、自分の書きたい(書いている)脚本と、演じている役者の個性との間で悩んでいる。 自分の書いているホンは、演じている彼らがいるからこそ面白く思えるのではないか? 逆に、演じる役者が彼らである以上、自分の書きたいホンに制限がかかってしまうのではないか? 俺は、劇団を主宰したことも所属したこともないのでよくわからないのだが、大学時代からの友人関係を維持しつつ劇団を運営していく上で、ひとつの壁に突き当たっているのではないかと思える。 それぞれが「自分自身の可能性」を模索し、別れ別れになっていく。必ず起こる現象の第一の兆候であるようにすら思う。 しかしながら、俺としては「思い上がるな」と言いたい。まだまだ現状で磨くべきところはいくらでもあるし、大きな変化を求めるにはまだ早い。 自分だけのしっかりしたナイフを手にすることができれば、どんな課題をも鮮やかに切りさばくことができる。 その鮮やかに切り分けられたものは、誰もが、容易に手にすることが可能となり、受け入れやすくなる。 周りのせいにしたり、見えない敵におびえる必要は何もない。 自分自身の創作世界をより高めていくこと。それ以外に考えるべきことはない。 がんばれ!期待してるぞ! |
|
こう毎日毎日不平不満とか悪口ばっか書いていると、歪んだ性格をただ単に露呈するだけなので、これからは褒めたり、愛でたりすることに主眼を置いてみたいと思う。 えーっと。ああ、何だろう? 何か褒めるもんあったかな?単に好きなもん並べてみようかな・・・。 映画で言えば断然黒澤明の『椿三十郎』だね。これは娯楽映画として最高傑作だと思う。『七人の侍』よりも簡潔で大胆な物語構成がいい。音楽ならスティーヴィー・ワンダーの『Isn't She Lovely』がいい。曲のタイトルもメロディもスティーヴィーの歌声も素晴らしい。心に響く。シンガーで言えばマーヴィン・ゲイをおいて他にいない。繊細で優しく、時に力強い彼の声は、感情の根源を刺激する。 ここまで死人2人とお年寄り1名なので、若いところに話を持っていくと、俳優では加藤雅也の目の据わった感じがいい。女優ではグゥィネス・パルトロウがいい。何となく高貴な雰囲気が漂っているような気がする。アイドルでは、今年はJフォンのCFに出ている女の子(名前は知らないが)がブレイクしそうな気がする。サッカー選手ではヴィエリがいい。すごく雰囲気がある。 まあこんなところでいいや。もう飽きた。 いいと思う人やものはごく一握り。あとは大概、ダメ。 お約束だが、最後はまた批判入れてみました。 |
|
熱が38度あったが飲みに行った。 のどが痛いとか咳が出るとかそんな症状ではなく、ただひたすら足腰が痛い。 ぼーっとするもののとりあえずは何ともなく見えるらしい。 一応、今回はご接待を受ける側で、「夕飯一緒に食べましょうね」という含みおきありの夕方会議セッティングだったので、ドタキャンするわけにもいかず出席したわけだ。 昼にバファリンを飲んだので熱は下がっていたのだが、酒宴が進むにつれ、徐々に熱が上昇。食欲はもとよりなく、自分にとっては妙なテンションで騒いだだけの「酒・食い物レス飲み会」となった。 しまったなあ、翌日も休めねえな、という苦い思いだけが去来する素敵な時間だった。 |
|
浅草歌舞伎の千穐楽だったため、浅草公会堂に行った。 本来は、千穐楽分のチケットを事前に頼んでいたのにオーバーブッキングで飛ばされ、かなり怒り心頭だったため、行くつもりはなかったのだ。 しかし、とある図々しい女のおかげで、行かざるを得なくなった。「どうしてもサインがもらいたいから何とかしてくれ」というわけだ。用意してもらって、後日渡す。という俺の話をほとんど聞かず、当日受け渡しがどうのこうの、簡易書留でいつまでに送れだの何だの、人の好意につけこんで図々しいにも程がある。 久々に頭に来るバカ女と話して気分が悪くなった。もう二度と関わりたくない。 それで、今日も『ボウリング・フォー・コロンバイン』を見に行こうと思い、劇場に電話をかけて空席状況を聞いたのだが、午後4時頃の段階で「レイトショー分しか空きがありません」とのこと。 見る気も萎え、銀座付近で何か芝居でも見ようかと思いさまようも空席なし。しょーがないんでビデオを購入。6本一万円也。 |
|
今日は『ボウリング・フォー・コロンバイン』を見に行った。 恵比寿ガーデンシネマで、夜9時10分からのレイトショーに出かけたわけだが、大入り満員で追い返されてしまった。紛れ込もうかとも思ったんだが、まあやめておいた。 公開初日ではあるんだが、凄いもんだね。 かくいう俺も、以前『笑っていいとも』でおすぎが褒めていたことで知ったわけだ。かつて『噂の真相』で、『フィールド・オブ・ドリームス』をカネをかけずにほぼおすぎのプロモーションのみで大ヒットさせてから、映画宣伝界においておすぎの影響力は強大なものになった、という記事が載っていたが、この映画についても同様なのかもしれない。 おすぎおそるべし、である。 |
|
今日は朝から頭痛がして会社を半休した。 午後から会議があるので仕方がなく会社に行ったわけだが、あまりの丸投げっぷりにハラが立つというよりも呆れた。 自分がやりたいこと、やらなければいけないことをどうしてこうもぞんざいに投げるんだろう?自分では何もやらない、できない無能な「お殿様」体質には心底軽蔑を覚える。 何でもかんでも周りがやってくれる。そう思いたいなら思っていてもいいんだが、それでいて予算がないなどと口が裂けても言うんじゃない! いい加減にしてくれよ。まったく。 |
|
今日は仕事のパートナーとの会議のあと飲み会があった。 個人的にはこのパートナーとは積極的に仕事をしたくないので、気は重かった。 前日(というか3時頃まで)『六月の勝利の歌を忘れない』を見ていたこともあり、テンション低く乗り切った。 正直、パートナーを変えたいところだ。何とかせねば。 |
|
寝たいのだがなかなか寝られない。 TVスポットでも流れているが、岩井俊二が撮った『六月の勝利の歌を忘れない』を買ったからだ。 これは、ワールドカップ日本代表を、いわゆる「ワールドカップ期間」の一か月間密着撮影したものを岩井俊二が編集した作品だ。 当時有名になった日本代表のキャンプ地「北の丸」での選手たちの姿や、練習風景、トルシエのミーティングでの談話、試合前後のロッカールームの様子など本当に丹念に取り溜めた驚くべき内容の作品だ。 これを見てはっきりと確信したのは、トルシエはマネージャーとして失格だということ。話は聞いていたし、さまざまなメディアを通じてだったり、試合の采配を見るなかで、どうもおかしなヤツだとは思っていたが、本当に、はっきりとヤツは狂っているとわかった。もう少しコーチングの手法を学ぶ必要がある。なぜトルコ戦で失速したのかがよくわかる内容だ。 トルシエと中田の器の違いを感じたね。日本代表にとって中田こそが監督だった。そして山本昌邦さんがいて日本代表が何とか「もった」のだということがよくわかった。 けれども、この作品の出来は素晴らしいの一言だ。 20代前半の若い彼らの、イキイキとした、躍動感ある、一人の青年が迎えた最高の瞬間が余すところなく注ぎ込まれているように思う。 「ワールドカップのヒーロー」として騒がれた虚像ではなく、リアルな生がそこにあるように感じた。 フツーに喜び、悔しがり、時に焦り、嫉妬し、怒り・・・。 そうなのだ。彼らにとってこそ、このワールドカップは一生刻み込まれる大事件であるのだ。 彼らは「感動をありがとう」なんて言ってるミーハーちゃんの何十倍も感動し、さまざまな思いを刻み込んでいるはずだ。 そんなほとばしる思いの詰まった作品ゆえ、途中でやめるにやめられず(2枚組みなのに)今の今まで見てしまった。 よかった! あーあ、今日はほとんど徹夜だな・・・。 |
|
今日は会社を2時間ほどサボって、歌舞伎座で玉三郎さんがやっている『娘道成寺』を見に行くことにしていた。 午前中の会議を都内に無理やり設定し、終わり次第抜け出して歌舞伎座に行ったのだが、残念!満員御礼で入場できなかった。 今年は歌舞伎発祥400年ということもあり、一月興行からいわゆる人気演目が続く。人気役者、人気演目が続けば興行も成功する。今年一年は団十郎さん、仁左衛門さん、幸四郎さん、菊五郎さん、玉三郎さん、吉右衛門さん、勘九郎さんらで回すんだろうな。こう書いていくと歌舞伎界には看板がしっかりいるなあ。貴乃花不在となった相撲とは違うな・・・。 |
|
今日は本当につまんない会議で(全体会議なんだが)途中まで適当にぶらぶらしてから参加した。 本を読んだり、同じ課の女の子と話したりして何とか時間を潰したが、忙しいのに何て無駄な!という感じだった。 最近、アメリカ流のプロジェクト思考がはやりだ。 リスクマネジメントとかプロジェクトマネジメントなどの観点で、意思疎通を円滑に行うことと、ワークフローにおいて「ヌケ」をなくそう、というのが本意だと思う。 はっきり言って馬鹿らしいと思う。 全体への配慮は、個を殺す。 これまでも出来ていたぬかりない気配りや思いやりを放棄し、テクニックとしてのプロジェクト思考を実践することが、日本のマーケットにおいて有効であるとは思えない。 誰もが感性を鈍らせ、気配を読むことができなくなる。 ・・・いろいろと書きたいけど、今日はちょっと眠いのでやめておく。要は何が言いたいのかと言えば、たとえば会議で嬉々としてプロジェクト用語を並べ、ガタガタ言ったところで何の意味もないんです。個別の案件を解決する際に使いたかったら使ってください。 マネジャーの仕事として、しっかりしたグランドデザインを描いてください。英語で言うのもしゃくだから、大綱を固めてください。そして、志を持ってください。示してください。 個別の案件は、俺らがやります。俺は俺のやり方でね。くっだらないこと長々とやってるんじゃないよ。まったく。 |
|
今日は池袋の文芸座で中国映画フェスティバルを見に行った。 チャン・イーモウ監督の『活きる』と『紅いコーリャン』の二本立て。 『初恋の来た道』『あの子を探して』などで人気の監督の94年の作品と87年の監督デビュー作である。 まあ、荒い。作りが。 多分、中国の同朋からの評価は低いだろうな。『紅いコーリャン』はベネチアで金熊か銀熊取ってるはずだが、アジア人としては難しいな。評価するのが。 真意がよくわからない。 チャン・イーモウは今のスタンスがいいんじゃないかな。まさしく彼こそが現代中国を描き出す第一人者であり、象徴的存在だと思う。 中国いいな。中国に行きたいな。 |
|
今日は建設途中のビル見学に行った。 学生のとき、ゼネコンに就職したいな、などとも思っていたので、ロゴ入りヘルメットをかぶっての見学はとてもワクワクした。 現在、そこは街区全体の造成が行われており、高層ビルが6〜7本同時に竣工されている。高層ビルも今ではあっという間に立ち上がる。 何でも竹中工務店さんかどこかが画期的な高層ビル工法を編み出したという話で、工期をものすごく短縮できるようになったらしい。 それに遅れてなるまじ!と他ゼネコンも人海戦術その他で必死に作ったそうな・・・。もっともゼネコン不況で、ここ以外には仕事がなかったらしいが。 でもまあ、オフィスビルっていうのは味気ないね。 かといって豊郷小学校とか旧正田邸を残そう、と言ってる奴らにはハラがたつね。お前らはガタガタ言ってるけど、運営維持にかかる費用はどうするつもりなんだ? 今後文化財保護税を課しますよ、ってことにでもなったらそんなに取り壊しに抵抗するか?使わない、使えない施設をそのまま綺麗な状態で保持するにはどれだけ費用がかかるか、保持しろと言う限りは最後まで責任とれる形で考えているんだろうな?口を出すからには金もしっかり出せよな。 大した税金も納めていない小市民が、権利ばっかりを主張するのには心底ハラが立つ。 まあ、あのいかがわしい豊郷町長は最低のバカだとは思うけどね。 具体性のない理想の押し付けは誰もがやめることだな。小泉批判なんて出来た義理か?そう思う。 |
|
モーニング娘。はやっぱりなっちだと思う。 文化放送で日曜日にピンでやっているラジオ「エアモニ(たぶん合っていると思う)」を聞いてつくづくそう思った。 ファンなら違うのかもしれないが、ピンでなっちが喋る番組をあまり聴く機会はないと思う。 なっちのピンの喋り・・・ なかなか可愛い。テレビで見せる(高音域の)作り笑いではなく素に近い抑えた笑い声がいい。結構落ち着いて堂々と喋っている。 しかし、何と言っても、圧倒的に、・・・・・・つまらない。 そうなのだ・・・。なっちが安定していたらつまらんのである。 ASAYANのオーディションに現れたなっちは圧倒的に可愛かった。けれども、北海道なまりを隠しつつも丸出しで、どことなくキョドっていて、そして5万枚売れなかったら解散!などという課題を与えられて半べそをかきながら頑張る姿に、多くの男性が応援したいと思ったのではないだろうか? 最初は福田明日香と張り合い、見た目では完勝なのにいじられた時のリアクションで完敗し、何となく「あの子はちょっと可愛そうな感じ」という雰囲気が漂っていた。そんな同情票もかなり集め、売れた。 で、邪魔者は消え、センターを取った「ふるさと」はいい曲なのに惨敗。 そこで追加加入した後藤真希がいきなりセンターに割り込み、哀れ脇役に成り下がったなっちの境遇と反するように「LOVEマシーン」は大ヒット。その後ストレスから太ってしまったなっちの境遇と反してモーニング娘。は高値安定を続けた。 しかしながら、なっちが痩せて綺麗になり、そしてモーニング娘。のセンター争いとは別の安定した位置に陣取っている現在は、どうにも苦戦をしているようだ。 もう、どうにも厳しいのかもしれない。 今さら「なっちかわいそう」「なっちがんばれ」と思わせる役回りには戻れないのかもしれない。 かといって他に適任もいない。藤本美貴よりも安倍あさみを入れて妹に取って代わられる哀れな姉役に徹してみたほうがいいかもしれない。もしくは、みんなで寄ってたかって安倍あさみをいじめるか・・・。 要は、セックス・イメージを封印されたアイドルにとって必要なのは「守ってあげたい」と思わせる弱弱しくも健気なイメージであり、それを失ったとき、作って3日目の雪だるまのように薄汚れ、誰にも構われなくなってしまうのだ。 厳しいものだ・・・。 |
|
「東スポだから・・・」 という言葉は「・・・信用できない」という言葉の枕詞としてほぼ定着したと言えるのではないだろうか? 俺自身も東スポ愛読者だが、まあ信用などは彼岸の話だ。もっとも俺の場合はどのマスメディアも基本的に「信用」などはしていないので、最初から記事内容がウソ・・・というか誇張であることを公言してはばからないような東スポのセンスはむしろ潔いとさえ思え、好感を持っている。 週刊誌もあれこれ読んでいるが、最も愛読している週刊誌といえば「アサヒ芸能」である。誌面はエロと暴力(団)と馬鹿のオンパレード。殿堂である。 今週号も、巻頭特集は「書いたら殺される!ヤバネタ15連発!!!」(確かこんなタイトルだったと思う)か何かで、広告会社が共演した女優をみんな食っちゃう悪名高き男優を15人リストアップして回している、そのリストがこれだ!みたいな内容から、何だかいろんなネタが15本集められたもののようだ。 ところが、この記事の質がめちゃめちゃ悪い。何だよ!単なるイニシャルトークじゃん!こんなもん、東スポでは小さなコラムにしかならない内容だぞ!と思わせるお粗末さなのだ。 もともと、アサ芸の特集は、ほんっとにひどい。 よくもまあこんな内容で特集だなんて言えたもんだと、その大胆さに舌を巻く。よくやる特集は、こんなもんだ。 あの人気女優の大胆濡れ場!15連発!!! などというのがメインタイトルで、その見出しの脇に「ブレイク前の大胆裸身」などのキャッチコピーや「藤原紀香」だの「飯島直子」なんていう名前が連ねてある。 まあ、だいたい過去のVシネマとか、映画から濡れ場シーンを演じた部分を持ってくるのが常套手段だ。しかも、それが、本当にその作品からスチル写真を持ってきて掲載するならわかる。 なんと!アサ芸は、その濡れ場シーンをイラストで再現しちゃったりするのだ!!で、記事もお粗末極まりない。単にだらだらと再現ストーリーを書くだけ。一切の取材もカネのかかった仕込みもない。強いて言えば、レンタルビデオで昔の作品を借りてくる実費だけか・・・。 もう、ひどいね。商業誌でこんなに手抜きしていいのかと俺が心配してしまう。 でもまあ買ってるんだけどね。 |
|
(1月15日21時記す) 昨日は朝4時出勤で夜11時まで仕事。車でちょっと寝て、家帰って朝6時出勤。 今は最終確認待ちの状態で、会社にとどまっている。 まあ、忙しい。忙しいんだが、今日の昼間に2時間ほど待ち時間ができたので、浅草に行ってきた。 前々から頼まれていた写真を渡したり、高輪にある美味しいパン屋のクロワッサンを差し入れしたり、そんなことをするためにふらりと地下鉄に乗って出かけたのだ。 ・・・ま、こんなことをしょっちゅうやってるから「あいつはいつもどっか遊びに行ってる」とか言われるんだよね。ほぼ事実だけどさ。 週末ほど混んではいないものの、やっぱり人は多いね。 けれども、おととい(月曜日)みたいに天麩羅の「大黒屋」は混んでいない。ふらっと入って人気の天丼を注文した。 江戸前の天麩羅らしく店内は胡麻油の香りが漂う。 この老舗を何十年も支えつづけてきたであろう看板娘(かつての)が、手馴れた態度でお茶を運んでくる。 (ここで力尽き、16日17時より記す) 少々待つと、天丼が運ばれてきた。 蓋のついた丼から、海老の尻尾がにょっきりと生えている。 わくわくした心持ちで、丼の蓋を取る。 すると、ふわっと上がった湯気のなか、つゆに浸って黒味がかった天麩羅が、ドン、と載っている。 丼狭しとひしめきあうように載っている海老、きす、かきあげ、三種の天麩羅で、ご飯はまだ見えない。 ごめんよ、とばかり海老のしっぽを箸でつまみ、端によけるとこれまたつゆに浸ったご飯が姿をあらわす。 かきあげの隅をちょっと欠いて、ほかほかご飯とともに口に運ぶ。 ・・・ ・・・・・・ ・・・・・・・・・ うまい!という流れなんだろうが、はっきり言ってマズかった。 大黒屋伝来のつゆなんだろうが、どうもベシャベシャして、うまくない。ご飯自体も、何だかねちゃっとした感じで食感が悪い。 肝心の天麩羅も気に入らない。なんと言っても海老のしっぽがしゃっきりと揚がっていないのは考えものだ。 海老はしっぽが命。誇らしげにパリっと揚がってこそ海老の海老たる価値がある。 連日行列のできる老舗の人気店。値段も1400円からと高い。「浅草の老舗の天麩羅屋」というブランドイメージも良い。 けど、どうなんだ?美味しくないぞ!? 職人の腕が衰えてきているのか、人気店の奢りか、それとももともとこんなもんなのかはわからないが、どうにも納得いかない。 祇園精舎の鐘の声、ですぞ。大黒屋さん! |
|
今日広尾を車で走っていたら、ものすげえいいオンナがマセラッティ(発音はマ・セ・ルァッ・ティって感じだねー)に乗って、俺の車の前に入ってきた。 見とれた。 すげえな。 金持ちというのは、カネを持ってるんだろうけど、カネを俺より使ってるはずだ。差し引きすると同じ、ってことにならねえのがどうにも憎い。 家も豪邸、車もマセルァッティ、生活もゼータク。そんで貯金もあって、で、すんごい美人。世の中はつくづく不公平にできてるもんだ。 北朝鮮も、テポドンの照準は柏崎刈谷原発とかじゃなくて広尾とか麻布に向けたらいい。たとえそこらが爆撃されても、スカッとする日本人が何人もいるかもしれない。・・・なんつってな。 いずれにせよ富めるものはとことん富み、貧するものは鈍すわけだ。 あーあ、やんなっちゃうな あー・・・おどろいた |
|
今日は浅草に行って、その後銀座で「ちょい洒落た」回転寿司を食った。 浅草は未だにすごい人出だ。天麩羅の「大黒屋」なんて長蛇の列ができており、入れやしない。正月らしくていいんだけどね。ちょっと閉口した。 少々時間が空いたので、中村勘太郎君の書いた『歌舞伎の名ぜりふ』を読んでいた。 するとつくづく歌舞伎は「大衆芸能」であったんだなと思う。設定や筋書きが、ずいぶんと下世話だ。カネであり、浮気であり、嫉妬であり・・・。そうした、その時代を生きた大衆の生活観が物語を形づくっている。 宝塚なんかとは多分違うんだろうな、と思う(宝塚は未見だが)。より庶民の生活に近いものが歌舞伎なのではないだろうか? 銀座の回転寿司は、プランタン銀座の裏手。「daidaiya」という店だが、まあ小洒落た店だ。フォアグラの寿司とかあったりする。2か月に1回位行くんだが、まあまあの店だ。 とはいっても、最近回転寿司のレベルは(たぶん)上がっていると思うので、少々色あせてきている。 銀座博品館の隣の店(名前忘れた)、渋谷センター街から西武百貨店のほうに少し入った店(名前忘れた)、新小岩駅前の店(名前忘れた)あたりもまあまあ気に入っている。回転寿司ではないが、京成立石駅前の立ち食い寿司屋もなかなか良い。 で、結論は何かというとだ。歌舞伎も寿司ももともと大衆向けのものだったんだろうな、ってことだ。歴史を重ね、何だか権威ある役者や店ができたことによって、格式が上がったような感じはするが、もともとは庶民のもの。 庶民として、もっと親しんでもいいんじゃねえかな、と思う。 |
|
新橋で足つぼマッサージをやってきた。 新橋駅前のテナントビル、たぶんもともとは関東松田組が作ったテナントビルだったんじゃないだろうか・・・? そのビルの2階には、土地柄なんだろう。10軒ほどの鍼灸マッサージ屋がある。そのうちの一軒に入り、30分・3000円で足つぼマッサージをしてもらった。 痛い。やっぱり痛いが、テレビタレントのように大騒ぎするようなモンじゃない。じっと我慢しつつマッサージを受けた。 終わって、マッサージ師に聞いてみた。「どっか悪そうなところ、ありますか?」と。 すると「肝臓と胃がちょっと良くないね、あと睡眠はちゃんと取ってますか?」と言う。 ズバリだ。 去年秋に健康診断を受けたときに、肝臓も胃もイマイチ良くなかった。それに慢性的に睡眠不足だ。 やっぱりわかるもんなんだなと思う。 30分ですっきり、というわけにはいかなかったが、若干足が軽くはなった。 「何回も来ると良くなるよ」というが、そんなに何度も行けるわけではない。でも一か月に一回は行きたいね。 |
|
あるチャット友だちの紹介で、その人が参加している別のチャットに参加した。 一応、初めてなので、挨拶をして、皆さんはどんなものが好きなのですか?なんて質問をした。ところがどうにも反応が悪い。しょうがねえなと思い、あいづち程度でほぼROMっていると、チャット友だちがメッセで話しかけてくる。 「○○さんとナシつけたから」 「ナシって何?」 「○○さんがここのボスだから、説明しておいた」 「あ、そうなんだ。どうもありがとう」 ありがとう、なんて一応言ったものの内心はかなりムッとしていた。 気さくな人たちだからさ、なんて聞かされて連れてこられたんだが、要は「仲間うちでは」気さくなわけね。 で、そこのボスから「あなたの好きなものを5つ上げて」とか言われて、そんじゃ、ってことで5つ上げると、みんなで「おめでとー!」とか言いやがるの。イニシエーションが終わったってことだろう。 おめでたくも何ともないっつうの。 何なんだよ。ちっさい王国作りやがって、偉そうに。ここに連れてきたチャット友だちの顔を立てて「ありがとう!」なんて言ってはおいたが、もう二度と行くことはないだろう。 こういう、ケツの穴の小さいヲタ野郎は俺は大嫌いだ。 別にコミュニティのルール設けちゃいけない、なんて言うつもりは毛頭ない。ホストはホストとして、しっかり働くことは当然のことだ。 しかしね・・・。こういう勘違い野郎のように「ホストは偉いんだ」みたいなことを思っている愚か者は消えろと言いたい。 ホストとは、そこに集まってくる人々に気使いをし、誰もが楽しく円滑に会話できるように配慮する人のことである。権限を与える、とか、メンバーに入れる、入れないっていうことを判断するのは二義的なことだ。 ルールとか、なんか言いたいんだったらその場でてめえが俺に言えばいいじゃねえか。もしくはどっかにルールでもアップロードしとけ!30も半ばを過ぎてるみたいだが、どうしてこうもアホなんだろうか?また一人屑人間と話すことで俺の時間を無駄にしてしまった。胸糞悪い。 |
|
今日はものすごいスケジュールで動き回った。おかしいね。仕事のやり方がまずい。まあ、他人のせいにするなら、仕事の配分が間違っているともいえるが受けた俺が悪い。良かったよ。一応三連休ってことになってて。三日あれば何とかなる。 何だかこう、ぱっと気分転換したいね。 映画や歌舞伎、演劇もまあいいけど、2時間とかそのレベルじゃなくて一日の単位で気分転換。旅行とかそんなもんかな。旅行なら、東北がいいな。 何だか久しぶりに釣りでもやりたいね。寒いかな。バス釣りとかそういった身のない釣りじゃなくて、海釣り。船釣りでガツンとやりたいね。 東京湾はシロギスがいいらしい。シロギスかー・・・天ぷらがいいんだろうけどうちじゃできないしな・・・。 イナダとか釣ってみたいな。 |
|
リンガーハットで長崎ちゃんぽんを食べた。相変わらずマズい。マズいとわかっているのにたまに食べに行ってしまう。値段も安いし、なんだろう?「アタリはずれ」がない(いつもはずれなんだが)というかチェーン展開の妙な安心感があるといえばあるからだ。 もともと、俺は全国チェーン展開の店は大嫌いだ。 日本全国どこへ行ってもセブンイレブンがあり、マクドナルドがあるというのは気違いじみている。セブンイレブンでは最近「いくらのおにぎり」が美味いとは思うが、日本全国どこにでも、同じ作りのいくらおにぎりが同じ時間帯に大量に店頭に並び、大量に消費されると思うと気持ち悪くなる。鮭の卵ってそんなに大量に、全国の店にあまねく並べられるだけ存在するのだろうか?絶対に人工いくらに違いないと思って成分表を見ると単に「いくら」と書いてある。 どうもあやしい・・・ しかしながら、ついつい全国チェーンの店を利用してしまうのは、値段の安心感(高いけれども)や、品揃えの確信が得られるからである。こうした、リスクを冒さずにいたい、という気持ちは人をどんどんバカにしていくと思うので、出来るだけ利用しないぞ!と踏ん張ってはいる。 全国チェーンのデメリットはもうひとつ、誤解を普遍化してしまうことにある。 たとえば、俺はリンガーハットの「長崎ちゃんぽん」しか知らない。実際に長崎に行き、ちゃんぽん発祥の店に行って食ったとか、人気の店で味わったとか、そんな経験はない。リンガーハットの言う「長崎ちゃんぽん」が果たして正統な「長崎ちゃんぽん」なのか?それともまったく違う代物なのかわからないのだ。 以前東京で「盛岡冷麺」の看板を掲げていた店に行った。冷麺好きの俺としてはオーダーせずにいられない。ところが出てきた冷麺を見て驚愕した。何か冷えたゼラチンの塊がごろごろしていてそのなかに麺がチョン、とのっている。 なんだこれは!!! 盛岡でもどこでも、こんな冷麺は見たことがない。しかも激マズ。この店の「盛岡」冷麺で冷麺初体験する人は、きっと盛岡冷麺を誤解し、盛岡の田舎モンはロクなもん食ってねえな、と思うかもしれないのだ。 そんな経験があるので、リンガーハットの長崎ちゃんぽんには疑いをしっかり持ち、きっと美味しい、ホンモノの「長崎ちゃんぽん」を食わせる店がどこかにあるんだと思っている。 |
|
今日から仕事。やる気は出ないがやることはいっぱい。 今月一杯は落ち着きそうにない。 余計なことを考えると暗くなるばかりなので、最近好きな曲について考えてみる。 ここのところ流行っている曲で好きなものをざっと上げると・・・ Mr.Children『HERO』 Kinki Kids『solitude〜真実のサヨナラ〜』 松浦亜弥『草原の人』 ここのところAMばかりを聞いているせいもあって、日本の曲ばかりだ。 しかも、自らCDを購入して聴いているわけではないので、もしかするとサビの部分しか知らないのかもしれない。 けれども・・・ 『HERO』は歌詞がいい。特に病気明けの桜井が歌うことによって歌の世界に広がりを与えている。生と死。儚い存在である人間。それが桜井の「オアシスを目前に力尽き倒れてしまいそうな」声によって痛いほどに伝わってくる。 『solitude〜真実のサヨナラ〜』は、無理矢理出している高音域が良い。もはや光一も剛も「Kids」ではない。しかしながら(ジャニーズのあざとい戦略のひとつではあるが)この曲の(音域の)無理矢理感、苦しさ感、せつなさ感が「Kids」として、少年期の終末をイメージさせる。何ごとも下手くそで、傷つきやすく、挫折ばかりを味わってしまう少年期の切なくも苦い思い出が、不安定で乱れた歌のなかから染み出してくる気がする。 ぁゃゃは、古臭い感じがいい。大して可愛くもない。そんなに歌もうまくない。曲も垢抜けない。けれどもなぜか気になる女の子。そして曲。 多分、彼女のファンの中高生たちは、きっと大人になって「何であの子のファンだったんだろう?」と思うことだろう。けれども、たぶん忘れない。心の片隅で、タンポポのように、目立たず、ひっそりと咲くことだろう。 要は、どれもこれも「儚さ」や「切なさ」が漂うような曲であり、声であり、人が好きだということかもしれない。 僕の好きな三遊亭歌之介のネタにこういうものがある。 「皆さん、(僕の落語に)こうして笑ってますけど、こいつはあと5分も話したら裏へ引っ込むな、って思ってるから笑うんでしょ。こいつは、あと2時間も話すぞと思っていれば笑えんでしょうが!何でも終わりがあるからいいんです(以下略)」 儚いもの、いつか消えてなくなってしまうもの、それを連想させるものはやっぱり美しいのです。 |
|
今日もだらだらしていた。WCCFをまたやりに行ったのだが、最近はすぐ負けちゃうし、カードは全然いいのが出ないし・・・ただ単にむかつきに行くような感じになっている。 ビデオ編集ソフトを買ったりして、だらだらと街に出るのだが、取り立てて何をする気もなく、時折明日からの仕事を思い出し、気ばかりが焦る。 まずい、まずいぞ! まとめて2〜5日分を書いてみたのだが、そんな場合じゃない!? マズー |
|
今日は映画でも見ようかと思ったのだが、どうも見たい映画がない。 映画館の前まで行って引き返してきてしまった。 家に帰ってビデオ編集でもしようと思ったのだが、取り込むだけでおしまい。 どうにもやる気がない。 正月のテレビはどれもつまらない。久々に「ウイニングポスト」なんてやって時間をつぶしてしまった。 ああ、やばい。今日は土曜。もう通常の土日と同じ。月曜には仕事だ。 まいったなあ・・・ |
|
今日は、昨日に続いて浅草公会堂へ赴き、歌舞伎を見た。(昨日は歌舞伎そのものは見ていなかったのだ) 今回は、なんと「あ」列(最前列)にご招待いただき、友人を誘って見に行った。演目は菅原伝授手習鑑の「車引」の場と、奴道成寺、義経千本桜の「四の切」だ。 昨日、浅草に来てスムーズに駐車できたので、今日もそんなもんだろうとタカをくくっていたら、どこもかしこもいっぱいで、浅草を40分もウロウロする羽目となってしまった。 というわけで「車引」にはちょっと遅刻。亀治郎さんは気品があったかな。 「奴道成寺」は七之助君の爽やかで凛とした雰囲気が光った。「義経千本桜」は獅童さんの熱演ぶりが良かった。が、もう少し抑えても良かったかな? 「最前列」というのは実は特等席ではない(一般に、最も大切なお客さまは「と・ち・り」の席と呼ばれる7〜9列目に呼ばれることが多い)が、汗をかきながら、そしてふとした息遣いまで聞こえてくる最前列での鑑賞はとても得がたい経験だった。 良かった良かった。 |
|
今日は浅草歌舞伎の開幕日なので、朝九時半に浅草公会堂に行った。 新春浅草歌舞伎出演の、市川亀治郎、中村勘太郎・七之助の兄弟、中村獅童、そして片岡亀蔵さんが、寒風吹きすさぶなか鏡割りをおこなった。若い女の子を中心に100人ぐらいは集まっていただろうか?結構な人気ぶりだった。 その後、浅草の東洋館に行って初席(寄席ですね)に行った。浅草演芸ホール、そして東洋館は通路にも人が座る超大入り満員。真後ろに、寄席に来たのは多分何十年ぶりぐらい。でも能書きタレのオッサン(わかってないんだ、これが)が座っていて不愉快な思いをしつつも、今年も歌之介落語に笑った。 浅草はどこもかしこも黒山の人だかり。メシもおちおち食えたもんじゃない。落語が終わったら、初詣うんぬんは省略しそそくさと帰る。 |