「ゴリヲ」の日記帳 |
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今日はある映画系のチャット仲間と銀座に飲みに行った。 「銀蔵」「ちゃんと。」という2軒をはしごしたわけだが、どちらもいい店だった。しかし、銀座の夜は早いね。12時にもなれば軒並み店じまい。町並みも閑散としてしまい、目立つのは客待ちのタクシーだけ。つくづく不況だね。 その後、渋谷で『マイノリティ・リポート』の先行上映を見に行った。 俺自身は、スピルバーグを「ハリウッドの巨悪」と批判し、映画作家としてではなく、映画商人としてとらえているので、彼がいつもながらのテーマをいつもの手法で描くことに対して「まあ、そんなもんだろう」と極めて冷淡に処理するより他なかった。 ただ、この作品をそんなに批判するつもりはないのだ。噛み砕いて言えば、俺自身が「スピルバーグはもはや終わった作家だ」と思っている気持ちを裏切るまでの出来ではなかったということ。スピルバーグに屈折した期待と敬意を持っている人間以外にとっては、まあまあ楽しめる作品ではないだろうか。 |
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昨晩は(というより朝5時まで)新宿ゴールデン街で飲んでいた。 新聞記者、雑誌編集者、そして右翼が集まる店らしい(笑)。 ちょうど「朝生」に店の常連さんが出ていて、それを見ながらカウンターばかり約10席の店で飲んでいたわけだ。 壁に野村秋介の写真が飾ってある店で某○日新聞社の記者が飲んでいるのもいかがなものかと思ったが、気さくなママのもと楽しく飲んだ。 まあ、みんな朝までよく飲むもんだ。 みんなそれぞれの分野で見識と知識を持っている人たちの集まりなので、まあまあ話は刺激的で面白いが、ややもすると「あの○○(有名人)と仕事した」とか、そんな話ばかりになるのはどんなもんかね。 朝まで飲んで、会社の経費使ってタクシーで帰って「厳冬ボーナス!サラリーマンの悲鳴が聞こえる」なんていう特集記事を組んでいるのはちゃんちゃらおかしいぜ。 やっぱり彼らは彼らで視野狭窄に陥ってるんだろうな。いい店ではあったので、ちょくちょく行っていろんなことを話すかな。 |
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昨晩はもう「バタンキュー」って感じで寝てしまった。 メッセで誰かに話しかけて(「退席中」となっていた)、返事がないのでちょっと横になったらそのまま寝てしまったのだ。 月曜日から水曜日まではほとんど眠れず、木曜日金曜日と連続で爆睡した。俺は日本最長寿のババアか!(確か2日おきぐらいの間隔で寝たり起きたりするらしい)と思った。 夕飯を「かつや」に食いに行って、たいへん不愉快な思いをした。 隣の席に座っていた30後半〜40台のオッサンが・・・ くっちゃくっちゃくっちゃくっちゃくっちゃくっちゃくっちゃ しぃーくっちゃちぇっちぇっくちゃくちゃくちゃ くっちゃくっちゃくっちゃくっちゃくっちゃくっちゃくっちゃ と、よくもまあそんなにけがらわしくメシが食えたもんだ!と言いたくなる愚劣な食いザマでカツを食っていた。 俺自身はかなりの差別論者であるが、隣のヤツはずいぶんと下賎な育ちをしたのだなと心底軽蔑した。「食べている時は口を閉じなさい」「くちゃくちゃ音を立ててはいけません」と教えられたことはないのだろうか?自分で考えてみたことはないのだろうか?こういう躾のできていない賎民の隣りでメシを食うのは腹立たしい。一日も早く、こういった下民の出入りする店でメシを食わずにすむようにならねば。 テーブルマナーというのも、貴族社会から生まれたものだ。美しく食べる、機能的に食べる、といった「食事」に関する要件から生まれたものではない。テーブルマナーとは差別化のために生まれたのだ。その流儀作法を知っているかいないか?同席する資格があるかないか、それを図るためのひとつの通過儀礼である。 そしてその多くは、幼年期の教育で身につけるものだ。 メシを汚く食うようなヤツは、教育をまともにうけていないものとして俺は差別する。 しまった!日記キャプションの内容とはほど遠い内容になってもうた! |
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今日は近所のイトーヨーカドーに買い物に行った。 そうしたら、一階の特設会場で、主にじーさんばあさん向けの下着だとか靴下だとかそんなものを売る催事を行っていた。 で、目についたのが「はんてん」。いわゆる「どてら」「ちゃんちゃんこ」「綿入れ」である。ラーメン大好き小池さんとか、昔の漫画の浪人生が着ているアレだ。 なんと1500円。 ここのところ急激に寒くなったものの、うちにはエアコンしかない(エアコンの温風って嫌いなんだよね)のでこれまでは布団にくるまる以外の防寒対策をしていなかったのだが、目にしたどてらがしきりと「温かいよ〜。おばあちゃんの(作ってくれたような)温もりを味わいたくない?」などとアピールを繰り返すので、思わず買ったわけだ。 で、今、どてらを着込みながら日記を書いているわけだが・・・ もう問答無用に温かい!!!! 袖を通した瞬間に虜になる温かさである。安物なので、首回りの化学繊維の肌触りはちょっと萎えるが、セーターやゴアテックスとは違った「包まれるような暖かさ」がある。着ていてリラックスできるし、何より羽織ったり脱いだり手軽な感じがいい。(とは言っても一回着込んだらなかなか脱ぐ気になれないのだが) しばらくはこのどてらのご厄介になることだろう。 久々に嬉しい気分になってきた。 一冬をともに暮らすわけだし「健作」と名前をつけることにしよう! よろしくな!健作! |
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朝のニュースでやっていたのだが、新潟に万景峰号がやってきたらしい。 北朝鮮に金品を送り、また日本国内に潜伏する諜報員たちの情報交換を行い、天子様の指示を伝えるという悪名高き船だ。 ほんの少し紹介をしていたが、ずいぶん設備の整った客船らしい。 まあ、実際のところはタンカーなどの外国船籍、または日本船籍の船でも一般人は乗船できないのだが、この万景峰号のように日本人の誰も乗り込めない「暗黒船」とでも呼ぶべき船には、ワクワクするような興味を覚える。 夜の海は怖い。夜の港も怖い。以前、塩釜の港で、船の灯りに誘われて集まった魚を釣りに行ったときは、暗い海面に飲み込まれ、海底へ引きずり込まれるような恐怖感を始終味わった。第三管区海上保安隊の警護艇が灯りのなかにぼうっと浮かび上がる威容を見ると、何度もそのスクリューで切り刻まれ、魚の餌となる想像が俺を捉えた。海と夜の闇と、船は、どこか絶望と死の香りを感じさせる気がする。 たぶんそれは、人智の及ぶところでない、巨大で凶暴な自然に対する服従心によるものかもしれない。 多分、万景峰号は今、新潟港に停泊している。もしかすると日本海のただ中を航行中かもしれない。 夜の港に停泊した万景峰号。闇の海を航行する万景峰号。多分、その姿は、俺に十分な恐怖を与え、新しい想像を与えてくれるだろう。 |
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今日は久々に同期入社の友だちと会った。 今は松江で働いているらしい。たぶん5年ぶりくらいだろうか。 うちの会社でも、さまざまなコースがある。下世話な言い方をすれば「出世コース」とでもいうのだろう。 本社勤務の人はそのまま本社周辺で働くものが多い。地方回りの人はそのまま地方転勤を繰り返すパターンが多い。はっきり言えば、前者が出世コース。後者はそうではない。なぜそのようなことがあるかと言えば、会社人事の多くは、情実によるものだからだ。 本社には社長をはじめ、役員が多く勤務している。人事などは彼らの匙加減ひとつで変わる。バカらしいほどはっきりしている。 実力主義なんてものは正直な話、ない。人は与えられたポジションに応じて力を発揮する。ポジションを与えるかどうかは、ソリが合うとか合わないとか、使いやすいかどうかなど、上位者の極めて個人的なジャッジメントで決まる。 本人にどれだけ力があっても、その上位者に力がなければ、浮かばれるチャンスも半減する。まあ、そんなものだ。 しかしながら、個人の幸福という観点でとらえた場合、果たして本社(=多くの場合首都圏)に勤務し、身を粉にして働くことが最善策なのだろうか? かつて俺が地方都市で働いていたとき、週末には必ず温泉に出向いた。釣りに行き、山道を散策し、ウィンタースポーツを楽しんだ。カネなんてそんなにかかるもんじゃない。料理はうまかったし、買い物にも苦労しなかった。 都会で暮らすものだけが、およそ文化的な暮らしをできないともいえる。都会の価値はすべてカネで決まる。 いつか、ある瞬間、決断をしなければいけないときが来る。都会を捨てる、という決断を。 |
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昨日も結局、日記書いた後に外出してしまった。 引きこもりの逆。もう出ずっぱり。家にいると落ち着かないのだ。 今日もアキバに出かけてきた。DVDソフトを購入するためである。 これまではHMVとかTSUTAYAに行っていたのだが、今日はヤマギワソフト館に行った。 HMVとは違ったラインアップに驚いた。こんなものが出ているのか!という驚きが(特にアニメコーナーとかで)あった。もっと小さなソフト屋に行けば、さらにスゴいもんが売ってるんだろうな。 ヤマギワではフラビージョ(忍風戦隊ハリケンジャー)こと山本梓のサイン会をやっていた。寒空の下、100人ほどのヲタが順番待ちの列を作っていた(そこから、5人くらいづつ会場に案内されているようだった)。 ハリケンジャーは一度知り合いに招かれ撮影見学をして以来、密かに応援しているので、正直なところ見たいなと思いつつも列に並ぶ趣味も気力もなくただ傍観した。中には、おい、こいつ30後半だろうというおっさんも健気に並んでおり、涙を誘った。 なんとなく映画「ドールズ」を思い出したな。追っかけ連中は何を求めて、何のために追っかけるんだろうねえ。セックスしたい?付き合いたいの?話したい?見たい?・・・・・・。 俺もたいがいミーハーなほうなので、わからんでもないが、アイドルに人生捧げる気にはならないな。たいがいの場合は、メディアが作り出した幻影以上のものはないからねえ。パッと見て、オーラが漂っているような天才。そんな人には男女問わず興味はあるが。 |
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今日は久々に外出せずにPCのセットアップをしていた。 ハードディスクのパーテションを切って、ドライバとアプリケーションを再インストールして、と何だかんだで一日仕事になってしまった。 しかしながら、DELLのサポートは噂にたがわずなかなか良かった。 某I○M社とは比べ物にならないほど良いものであった。 まあ、そんなんで思ったことがある。 DELLの工場設定では「マイコンピュータ」や「マイネットワーク」などのデスクトップアイコンが表示されていないのである。 一番上に「ごみ箱」そして次に「インターネットエクスプローラー」そのほかはアプリケーションやプロバイダのサインアップ用のショートカットが並んでいる。 俺の推測だが、パーソナルユースにおいては、インターネット接続を第一に考え「マイコンピュータ」から設定うんぬんを行うことは二の次と考えているのだろう。 いい判断だと思う。現在のパソコンは使いにくい。テレビを見るのに、サポートセンターに電話するヤツがどこにいるだろう?車を運転するのにマニュアルを熟読する必要があるだろうか?パソコンは確かに多種多様な機能があり、用途は幅広い。しかし、車もテレビも今では高性能であり、さまざまなテクノロジーの粋が集められている。 何が違うか?それは、用途がはっきりわかっているものと、何にでも使えるものの違いである。 どちらが良いか? 成熟した消費者であればその差はわかるだろう。何にでも使えるということは、何も使えないことと多くの場合イコールである。目的と用途がはっきりしていれば、専用機のほうがいい。誰もが「Postpet」や「Exel」を使うわけではないのだ。プレインストールモデルは、メーカー側のエゴの塊であってユーザーのメリットを考えていない。ソフトベンダーもPCメーカー(アセンブラー)ばかりを見ずにユーザーへの還元を行って欲しいものだ。自分にとって必要なソフト、そしてハードをオンデマンドで安価に手に入れられる。そんな状況になることを望む。 で、DELLのように割り切った作りはいいと思う。CPUがどれだけ速かろうが、HDDの容量がどれだけ増えようが、インターネット専用にしか使わない人に、コントロールパネルなんてどーだっていいのだ。(セキュリティさえしっかりすればね・・・) |
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ちょい間があいてしまった。 昨日DELLのPCが届いたので、いろいろとセッティングしたりガタガタやっていたのが原因かな。 今日はあるアイドルにインタビューした。ごくごくフツーの子だ。「だから」なのかなあ?人気があるのは。もう少しで手が届きそうな感覚がいいのだろうか? |
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俺は車通勤をしている。本当は禁止だ。 知ったことか。いい大人が「車通勤は禁止ですよ」「はい」と従順に命令を聞いてどうする。どだい、いつも残業ばっかりで、帰宅する頃には最寄駅からのバスはなくなっている。残業代も上限あり、タク代も支給なしでそんな命令を出す会社が間違っている。 おっと!今日は会社に文句をいう意図で書いたのではない。車の中で何を聞いているか、ということが書きたかったのだ。 俺の場合、断然AMラジオなのだ!(1)AM(2)CD(3)FMの順なのだが、最近はほぼFMは聴かず、CDも車に積んであるヤツは飽きちゃったので聴いていない。最近はほぼAM専用となっている。 まず朝は、文化放送の『チャレンジ梶原放送局』なる番組を聞く。はっきり言ってつまらない。先日、番組の出演者とほんのちょっと酒を飲む機会があったのでそれから聴くようになった。朝からタケテツ(武田鉄矢)のお説教など聞きたくないのだが、今は我慢して聴いている。もうそろそろ別の番組に変えるかもしれない・・・。 で、10時半からはTBSで毒蝮三太夫。30年以上にわたり、毎朝「この死にぞこないのババアめ!」とか「きったねえオヤジだな、おい!」と素人をなで斬りにするマムシ節はもはや名人芸だ。痛快。 11時過ぎからはニッポン放送で『高田文夫のラジオビバリーヒルズ』午後は文化放送『吉田照美のやるきまんまん』夕方はニッポン放送『鶴光の噂のゴールデンアワー』で、夜はやっぱりオールナイトニッポンになる。なぜか知らないがいつも西川貴教から土屋礼央を聞く羽目になるのだが好きではない。オールナイトニッポンならほとんど聞けてないがaikoとロンブーがいいかな。 で、何でAMがいいのかは、また後で。 |
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今日は映画を見に行った。ロバート・デ・ニーロとエディ・マーフィー共演の『ショータイム』ってヤツだ。土曜日(16日)からの公開になるわけだが、この2大スター競演にして正月映画の目玉ではないわけで、時代の移り変わりを感じた。 なかなか笑えるいい映画だったんだけどな・・・。 それに加えて、土・日の2日間で本を10冊ほど買った。ざっと挙げると・・・。 『自分の中に毒を持て』(岡本太郎)、『性的唯幻論序説』(岸田秀)、『歌舞伎の名セリフ』(中村勘太郎)、『失われた景観』(松原隆一郎)、『やくざ親分伝』(猪野健治)、『吉本隆明のメディアを疑え』(吉本隆明)、『紫の履歴書』(美輪明宏)、『フランス生まれ』(早川雅水)、『崩壊する映像神話』(新藤健一)、『小さな家』(ル・コルビジェ)、『からだを読む』(養老孟司) で、だ。問題は多分この本はきっと読まれずに積まれているだろう、ということだ。あ、たぶん養老先生とコルビジェは読むかな?薄いしね・・・。 自分でも勿体無いかもな、と思ったりはする。しかしながら、だ。俺は特にブランド物のバッグを買ったりしない。ガーンと買ってはみたものの、全部で1万円ちょっとだ。ルイ・ヴィトンの手帳より安い。さらに言えば、ヴィトンやディオール、ジバンシーでキメ、ドンペリで乾杯し、食後のシガーをヘネシーを傾けながら愉しむ。 そんなことで大金をはたいても、結局悪名高きLVMHの総帥ベルナール・アルノーを肥え太らせるのみに過ぎない。 (ご存知ない方のために・・・現在、ルイ・ヴィトン、ロエベ、セリーヌ、ベルルッティ、クリスチャン・ディオール、ジバンシィ・クチュール、ケンゾー・クチュール、クリスチャン・ラクロワ、フェンディ、ダナ・キャラン、フレッド、セフォラ、モエ・エ・シャンドン、ヴーヴ・クリコ、クリュッグ、ポメリー、ヘネシーなどはみーんなLVMHグループ企業です) 本を買えば本屋も出版社も著者もみんなちょっとづつ幸せになれる。自分にも(読めば)ためになる。出版業界とは関係ないが、まあ、本を買ったほうがプラスになるだろうな。 ブランド品を買うことで得られる虚栄心と本をたくさん買うことで得られる虚栄心って案外似てるものだからだ。ブランド品で華美に武装してる(つもり)よりも、本を買って知的に武装してる(つもり)の方がカッコいいと思わない?思わないかな・・・。 |
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昨日は友達の芝居を見に行った。 芝居というよりはショートコントみたいなもんだった。 まあまあ笑えたので良かった。 なんといっても出演してたニューハーフのはるな愛さんが良かった。 笑ったね。うんうん。 >>ちょいゴメンURL埋め込みのやり方わからんから。 この人ね↓ http://www.mirai.ne.jp/~ai-haru/ で、だ。 芝居見て、車で帰ったんだが、またはまっちゃったのだ。 清瀬東久留米そして新座などの西東京エリア迷路地獄に! 前にも迷い倒したことがあったのだが、何せあそこらのエリアは道がわかりにくい。青梅街道・目白通りなどの幹線道路までの道がわかりにくく、走っているとすぐに住宅街の真中に入ってしまったり、同じ道を堂々めぐりしてしまう羽目になる。 その原因は道路標識(道案内用の)があまりに貧弱だという点にある! まず絶対数が足りない上に、直進・秋津、右・田無、左・所沢(正確ではありません)とか右・市役所、左・駅(正確ではありません)などという、よーわからん看板出されてもどーしよーもないんじゃ!ボケ!!だいたい田無だってもう西東京なんだろ?そろそろかなと思って電柱の住所見て「西東京市」って書いてあったら混乱するだろうよ!ああ腹立つ! |
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昨日の夜は『チェンジングレーンズ』という映画を見に行った。 サミュエル・L・ジャクソンとベン・アフレックが出ている映画。 こないだまでガンガンスポットが入っていたので、記憶している人もいるだろう。 「たった一度の無謀な車線変更が二人の男の運命を変えた」 なんていうキャッチコピーで売っているものだ。(※コピーは正確ではありません) まあ、半分このコピーにだまされて見に行ったということもある。 大したことのない映画だったけれど、まあいい。 正々堂々と創作されたキャッチコピーにひかれて見に行って、失敗してもそれは許容できる。 で、逆に許せないのが、最近多い素人を使った「感動しました〜♪」とか「こわかった〜(ガクブル」とかいったお気楽お手軽無責任宣伝だ。 こんなものをたれ流すヤツは、クリエーターの風上にもおけない愚か者だ。 それぞれの立場における判断や責任を他人、しかもまったくの素人に転嫁している愚の骨頂というほかない行為だ。そのような宣伝を行うということは、自分たちが作品の魅力を語り、伝えることができないという無能力を天下に広く知らしめる以外の意味はない。 巣の中の幼鳥のように口をあんぐりと開け、ハリウッドの有名俳優・監督の作品が届けられるのを待っている、そんな愚か者の顔が浮かんで見える。 英語題を魅力的な邦題に変える。魂の入ったキャッチコピーを考える。そんな努力を放棄した果てに、今の映画界の不毛がある。 もっと映画を愛せよ!映画人たちよ!! |
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DELLでPCを買った。正確には先月末にオンラインで発注したのだ。 もともとはこれまで使っていたThinkPadの起動ファイルが壊れてしまい、さらにリカバリディスクも見当たらないので、修理に出すかどうか思案していた。 そんな折、バナー広告で見た「256MBメモリ増設サービス」に惹かれて思わず発注してしまったのである。 結局のところ、広告で目立つように表示してある「○○円〜」の○○の金額は、基本的なオプション、消費税、配送料、クレジット手数料だの何やらで3万円以上高くなってしまった。まあいいんだけどさ。店頭で10%還元!なーんて店の方がよかったかなとかも思っちゃうね。 そんなわけで、今日DELLから「注文請書」なるものが届いたので、サイトのオーダーステータス画面を見に行ったわけだ。 するとMyPC(となる予定のマシン)はどうやら、海外(のどこか)でキッティングが完了し、日本に輸送される準備をしているらしい。これから日本で受け入れし、21日頃に配送されるらしい、ということがわかった。 本当かね?と思わずにやりと笑ってしまった。過去のあることを思い出したからだ。 昔、IBMのAptivaシリーズというオールインワンのパソコンがあった。当時めちゃくちゃ売れていたにも関わらず、製販調整がグダグダで納期が遅れに遅れていた。 山形でコンピュータのセールスをしていた俺の先輩は、いつもお客さんからAptivaの納期の件で怒られ続けていた。 で、彼が言い訳に使っていたのが「アメリカで作ってますからねえ、運送に時間がかかるんですよ」 ある時、IBMが工場見学の機会を設けた。山形の長井市にある工場。先輩はお客さんも連れて工場見学に行くと、何とそこがAptiva製造の旗艦工場。 「Aptivaは日本オリジナルモデルですから、ここで作ってるんですよ」 という丁寧な説明を受け、先輩はいたたまれなくなって翌週交通事故起こした(関係ないな)のだった・・・。 まあ、そんなことを思い出してみました。 |
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昨晩は何と9時に寝た。 クリーニング屋に出していたスーツを取りに行かなければいけなかったことと、 あとは疲れからかな。仕事はここのところ毎回、史上最悪の進行が続いている。 下には下があるものだと思わざるを得ない。 仕事量が急に増加したわけでも複雑化したわけでもない。 単にそれぞれの立場でしっかりとした判断と決定を行っていかないと、 安易にプランが揺らいでしまう。 サラリーマンの日和見的な仕事をやっていてはダメだということにまだ気がつかないヤツがいるということだ。 文句言われたら適当に謝ったふりしとけばいいじゃねえか。 自分が信念もって、こうしたいんだ、こうあるべきなんだ、と主張できないと、この負のスパイラルは継続される。ホントに頼むよ。まったく・・・。 守るためには守ってばかりじゃダメだ、ということがある。 野球のように攻守が表裏ではっきり分かれているなら別だが、実際の生活ではサッカーのように攻守が目まぐるしく入れ替わるものだ。 常に反撃の機会を探っていかなければならないだろう。 |
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最近、SEGAの「WORLD CLUB Champion Football」にはまっている。 とにかく2ゲーム500円は高い。頭に来る。 それに最近はいいカード全然出ねえじゃねえか!畜生! とついつい熱くなってしまう。 ところで、今日はバーミヤンで夕飯を食った。 まわりは若いカップルだらけだった。 で、気になったのが、ある一組のカップル。 女の子は、ごくごくフツーの地味な子。 で、男は腕にTATOOを入れた、ヒゲ面の怪しげな野郎。明らかに不似合いなふたり。 まあ笑いながら話してるみたいだから、関係は悪くないんだろう。 思ったのは、TATOOをみんな気軽に入れるもんだなあってこと。 大体、TATOOという呼び方が悪いんだろうね。刺青だよ、イレズミ。 んなもん入れるヤツは、やっぱりスジモンか犯罪者だと思う俺は古いのかねえ? アスリートがスミを入れたがる理由はわからないでもない。 アスリートにとって自分の肉体こそがすべてなのだ。 自らのアイデンティティそのものであり、商売道具であり、商品である。 自分の肉体を常に見つめ、手入れし、愛し、いたわる。 そのなかで、自らの肉体に装飾を施すって意味でイレズミを入れたくなるのかもしれない。 そんな風に考えることもまあまあ、できる。 でも、バーミヤンのヒゲ野郎はどの程度の覚悟や思い入れでスミ入れてんのかねえ? 単なるファッションなんだろうな、誰かのモノマネの。 まあいいけどね。でも知るべきなのは、精霊信仰とかやってた原始社会を除いて、 イレズミっていうのは刑罰として入れられたものだっていうことだろうね。 バカさ加減を世に幅広く知らしめる意味で、彼は良いことをしているとも言えるな。 俺は原始人でもないし罪人でもないから、刺青は入れない。 |
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女性から見てカワイイ、といわれる女性がいる。 そういう女性は往々にして、男性から見てちょっとな、というケースが多い。 これは女性の自尊心の問題だとか、虚栄心の問題だとかよく言われている。 合コンで、友だちの女の子に「今度かわいい子連れていくから」 と言われて、かわいい子が来たためしがない。というのはまあ、これだよな。 しかし最近になって、女性側の問題だけではなく、男性側の許容力の問題でもあると思うようになってきた。女性がかわいい、という感性を、たとえそこに若干の悪意(自分より綺麗な子はヤダ、とか)が込められていたとしても受け入れられるかどうか、それが重要だろう。 俺は、そうした(主に)同性に好かれる女性(レズビアンじゃなく)を「踏み絵」と呼ぶようにしている。 俺の考える「踏み絵」は「はな」だ。『王様のブランチ』に前出ていた、今は『ぴゅあらばE』とかいうCFに出ているモデルだ。 彼女は、圧倒的に同性からの人気が高い。みんながカワイイよね、とかいう。 だが、どうだろう?若者よ! セックスアピールはなし。ちょっと甘ったるい声も、おいおい、あんた結構年やろ!と突っ込みを入れたくなるはず。顔も、うーん、どうでしょう(長嶋風に)・・・。 で、だ。 結論から言うと、俺は嫌いなのだ。 ああいうタイプの女はやっぱり好きになれないと思う。 もしかすると、ああいう女性を好きになれることが、審美眼を高めるのかもしれない。がっついた目ではなく女性を見られるようになるのかもしれない。 まだまだがっついてるもんな、俺。 |
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今日は新宿に行って来た。 新宿駅で人待ち顔の女性が目に止まる。 「どう?私、綺麗でしょ。こんな私を待たせるなんて!」 というセリフが今にも聞こえてきそうなご様子である。 確かに、美人だ。 けれども「本当の」美人、つまり天与の美貌を持つ女性の脇に立ったなら、 いっぺんに色褪せてしまう美しさである。 美を維持するためには努力が不可欠である。 しかし、到底努力ではたどり着けない領域がある。 例えば、吉川ひなの。 彼女のキャラクターや行動、あるいは性的アピールの不足により、 彼女を好まない人は多くいるだろう。 しかしながら、実際の彼女を目の当たりにすると、その絶対的な美しさに驚く。 目、手、足、そして毛穴のひとつひとつに至るまで、 一市民の領域を遥かに凌駕し、ミューズの輝きを持っていた。(今はどうかわからないが) 彼女の美貌は、到底たどり着けない領域にあったのだ。 新宿駅の彼女は、そうではない。 化粧と整髪と着衣と所持品と(あえて日本語使用)、それらを巧みに駆使し、美しく見せているのだ。 彼女を頭ごなしに批判するつもりはない。 多くの人に神は微笑まない。美しくありたいと努力することは間違いではない。 しかしながら、彼女が追求している(ように見える)のは、 「隣のあの子よりも綺麗」といった「比較級の美」なのである。 ちょっとした優越感を得たいがために作り上げている美貌なのだ。 思うに、美とは比較級で語れるものではない。絶対的なものだ。 一人一人が本質的には絶対的な美を所持しているはずだ。 各々の美の研鑚を怠り、自分の価値を、例えばブランド品などの他者に委ねるやり方。 こうした風潮が蔓延し、誰もが似たような顔をして歩くようになる。それが現代だ。 何でも基準を他者に委ねてりゃ、不安は拭えないよな・・・。 |
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とにかく仕事がドつぼにはまっている。 まだ何も終わらない。 昨日の朝4時にコンビニへにぎりめしを買いにいった。 そこで、何とはなしにプチエロ系の雑誌を手に取った。 すると! MEGUMIのグラビアが目に入った! すかさず! 俺はページを閉じてしまった! 何とまがまがしくも凶暴な乳なのだ! 巨乳・爆乳の範疇を大きく踏み越えている! おそろしい!おそろしすぎる乳ではないか! 俺は敬意を込めて「恐乳」という称号を与えたいと思う。 徹夜で疲れた頭をこん棒でぶん殴られたかのような衝撃に いたたまれなくなって店を出た。 デカすぎはいけない。モノには程度ってもんがある。 MEGUMIの乳を見て、そう痛感した俺は、 やりかけの仕事を放り投げ、寝ちまうことにした。 やりすぎはいけない。モノには程度ってもんがある。 ありがとう!MEGUMIの乳。 でもまだ仕事は終わらない・・・。 |
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仕事が終わらない。 あまりにイライラするので気分転換に日記を書くことにした。 だから、今日は毒っぽいカンジ。 共和党が勝ったそうな(何でそんな話するんだ?俺?) ますます基地外国家・アメリカの本領発揮と相成る。 来年早々に戦争が始まる。見え見えだがロッキードあたりの株は上がるんだろう。 アメリカを健全な国家だと思っている人はどうやら多いようだ。 もちろん、それは間違い。 彼の国には娯楽以外何もない。娯楽は娯楽であって、決して価値ある文化に昇華するものではない。娯楽の行き着く先は、資本主義の絶対者「カネ」でしかない。 兌換通貨でしか価値を推し量れない社会、それがアメリカである。 もとより彼の国を建国したのは、犯罪者集団である。コロンブスのような香具師(風のならずもの)が原住民を蹂躙し、侵略して出来た国家である。 欧州で地位も実力もあり、社会的に成功した人物がどうして遠い海を渡り、辺境の地に赴くだろう?犯罪者か難民のような連中だけが海を渡ってアメリカを勝手に名乗ったのである。 その点は実は日本も同様だ。中国、そして朝鮮でダメなヤツが日本に放逐されたのである。実は、北朝鮮にいる連中の方が、本質的には保守本流を歩むべきエリートではあったはずだ。 しかしながら、とにかく日本やアメリカに来た「雑草」連中の方が、保守本流よりしぶとく強いのは自明の理である。本国で鬱屈したエネルギーの塊が開放されることになる。「よくも今まで俺を冷遇しやがったな。見てろよ、やってやる」と。つまり、国家の成り立ち自体「報復」を前提としたマイナスのエネルギーに満ちているのだ。 さらにアメリカのタチの悪さには、貴族社会のイニシエーションを受けていない点がある。これが歴史の浅さと薄っぺらさに拍車をかけている。 イニシエーションの欠落によりアメリカは、社会的な判断基準がない国家となった。血の正統性の誇りやノブレス・オブリッジのかけらもない。つまり謙虚さもゆとりもない国家経営をせざるを得ない。国家百年の大計なんて立てられるわけもないのだ。「守るべきもの」がないから。そしてすぐに「他者を攻める」ことでエネルギーを発散しようとする。ひとことで言えば、幼稚だ。 僕はいつも思う。アメリカはハンバーガーみたいな国だな、と。口当たりが良く、食べやすい、そして化学調味料と添加物た〜っぷりの食い物だと。 |