「ドリー」の日記帳 |
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え?そんな・・・・ 信じられない・・・・・・ ウマイゴンに限って・・・・ |
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「豚だらけの大衆の欲望を満たしてくれ」という某固定の要望にお応えしまして、下世話で役に立たず、そしてごくごく個人的な話を書きたい。確かに大衆というのは豚と一緒だ。餌を与えると喜ぶし、長期的視野というものを持てない。だから政治家は汚職をするのだ。 2000年の5月に、俺は運良く童貞を捨てることができた。相手は5歳年上の、ちょっと神経症の傾向があるガリガリに痩せた(体重が40`もなかった)姉ちゃんだったが、その日のことは今でもよく覚えている。 その二日後に、ある俺は友人と一緒にビデオ屋に行って、友人の 「やった?」 という問いに 「やったよ」 という返事をして、この物語は終結する。 もしくは、この物語が本当の意味で終結を見せるのはそれから5ヶ月後の町田であるのかもしれないが、モノには限界というものがあるので、今日は便宜的にビデオ屋での会話を「俺の脱・童貞物語」の終わりとする。それがハッピーエンドであるかどうかは豚であるお前らが判断すればいい。 結局、豚であるお前らには文章では何も伝わらないのはわかっているから。 俺自身でさえも、あれが何を意味し、そしてどんな影響があるのかわからない。今でもわからない。 事の始まりについての俺の記憶は薄い。もう三年も前のことだだから当たり前と言えば当たり前だ。月日は着実に流れているのだ。だが、「その日」より遡ること一週間ぐらい前に、俺が姉ちゃんとデートしてる時に俺がこう言ったのが始まりだったような気がする。 「ねえ、来週の土日、親が家にいないんだけど」 当時は姉ちゃんとつき合って、既に二ヶ月ほど経っていたので、俺はすでにやりたくて気も狂わんばかりだったし、同級生もしきりに「やったかやったかやったか?」と顔を合わせれば呪文のように聞いてくる状況であった。俺はそんな状況と、夜寝る前に悶々と過ごすのが既に嫌になっていたので親が家を留守にするという事実に小躍りして喜んだものだ。だが、あまりにも「やりたい」という気持ちを全面に押しだし過ぎてもアレなので、なるべく表情と声に出さないように気をつけながら表情を「無関心」に、声を「ぶっきらぼう」に固定したまま頬杖をつくという小技も忘れずに言った。ファミレスのテーブルで向かいに座っている姉ちゃんは、一瞬「ぽかん」という表情をした次の瞬間に俺の言わんとすることを理解した様子で、少しだけ眉を顰めながら言った。 「それって、泊まりに来いってこと?」 俺はなるべく表情を崩さないように、テーブルの上に乗っている砂糖入れに向かって言った。 「うん。なんか予定ないなら、どう?それならずっと一緒にいいられるし」 「わかった、泊まり行くよ」と、姉ちゃんは言った。「まだバイトがわからないけど、開けられると思うよ。よく考えたらあんまり長い時間一緒にいたことないもんね」 姉ちゃんはそう言い、その後に小声で 「・・・・そろそろ我慢できない頃だもんね」 と、言った。 俺はそれを聞き逃さなかった。俺のジーパンの下にあるジョイスティックも聞き逃さなかった。 俺は、「無表情」の努力を放棄した。 股間に存在するオリジナルジョイスティックとの孤独な戦闘を一週間続けた後、とうとうその日がきた。俺はその日、待ち合わせの時間まで短い人生の中でもトップランクに入るほどそわそわした。5秒と同じ場所にいられず、4秒に一度テレビのチャンネルを代え、3秒おきにコンポのCDを入れ替え、2秒毎に勃起し、1秒と間をおかずに妄想を繰り広げた。そして、そわそわ度は待ち合わせ時間が迫るごとにそのレベルを強め、待ち合わせ時間一時間前にはついに頂点に達した。エクスタシーに達した俺はついに我慢できず、さらなるエクスタシーを求めてパンツを脱いだ。脱いでする事は決まっている。 改札から出てくる姉ちゃんを見て、俺は正直ホッとした。いい加減自分のテンションに疲れていたのだ。やっとそれから開放される、と。 姉ちゃんはその日、改札に切符を通すと颯爽と俺に寄ってきて、「こんにちわ」と笑いながら言った。 俺も思わず笑いながら言った。 「こんにちわ」 (続く・・・・かもしれない) |
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書くことがあるようでない。 そんな肛門(ウマゴン) |
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1803年に産まれて、1869年に死んだ作曲家でベルリオーズという人間がいる。俺、前まで全然知らなかったんだけど、ちょっとしたきっかけで彼の代表曲の「幻想交響曲」を聴いて、えらく感動した。こんなに感動するのは久々だったのでその感動をあえてここに書きたい。小一時間書きたい。 ベルリオーズって香具師は基本的に陰気で粘着質で鬱向きで、到底まともな人間とは言えない上に自意識過剰でしかも女にもてないキモイ奴だったらしい。らしい、というのは俺がベルリオーズに会ったことないからなわけだが、色々ページを回って調べているうちにそんな事がわかってきた。この「幻想」も、初めて聴いて俺が思ったのは「女に相当酷い目に遭わされたんだろうな」ということである。実際にそうだったらしく、ベルリオーズは舞台女優に一目惚れしてストーカーのように付きまとった挙げ句気持ち悪がられたり、結婚を約束した相手の親に強引に別れさせられ、その親を毒殺しようとしたりのてんやわんやである。しかし、彼には異常なまでの粘着性と音楽に対する才能があったので、その「天性のストーカー気質」を芸術レベルまで押し上げたのがこの「幻想〜」である。らしい。 この曲は当時としては画期的な手法が色々使われているらしく、その代表的なものとして「ストーリーがある音楽」「テーマ曲」という二つがあげられる。ストーリーがある、というのは文字通りこの交響曲には以下のような楽章ごとに区切ったストーリーがあるのだ。 第一楽章:夢・情熱 とある青年が恋をする。悩んだり落ち込んだり嫉妬したり自己嫌悪になったりする。 第二楽章:舞踏会 たまたま出かけた舞踏会で「彼女」を見つける。喧噪の中で踊る彼女を見て、胸が高まったり様々な感情が駆けめぐる。 第三楽章:野の風景 到底手が届かない彼女をあきらめようと、主人公は旅に出る。旅路の途中、とある草原で休んでいると、突如彼女への思いがフラッシュバックする。 第四楽章:断頭台への行進 ついに彼女を忘れられなかった主人公は、その痛みに耐えきれず阿片を飲んで自殺を図る。しかし、死にきれなかった彼は、奇妙な幻覚を見る。それは彼女をレイプして殺した挙げ句、捕まってギロチンにかけられるというものだ。 第五楽章:サバドの夜の夢 幻覚はまだ続く。ギロチンで首を切られた彼は、地獄に堕ちて魑魅魍魎どもの宴を目撃する。バケモノ共が歌い、踊り、宴が始まった頃、彼は自分が殺した「彼女」を目撃する。彼女は生きているときから考えられないほど醜く、下品で、グロテスクな娼婦になっていた。しかし宴は続き、盛り上がりは最高潮へ。 ・・・というのが幻想のストーリーです。特筆すべきは「固定概念」と呼ばれている「彼女」を象徴する旋律でありまして、第一楽章−第五楽章まで「彼女」の旋律が通して出てきます。そのストーリーによって旋律は様々な形を取るのですが、はじめは美しかった旋律が第五楽章になるといかにも滑稽でグロテスクになるのは圧倒されます。これはマジすげえ。ホントすげえ。特に第五楽章が超すげえ。もう魑魅魍魎。バケモノが踊ってるのが目の前に見えるようで、汚らしい服を着たズベタに成り下がったヒロインの姿がそこに見えるようだ。いかにも地獄、もうゲゲゲの鬼太郎の世界です。墓場で運動会です。だけど、それが何故かすごく楽しそうに思えるのがこの作品のスゴイところでありまして、美しかった物が見るに耐えないほど汚くグロテスクになった姿は別の意味で感動します。そこには美しい物だけに与えられた「汚れ」の特権があるのです。汚れてしまったと思うのは、それが美しかった証拠なのです。 まあ、上手く言えんけど、こりゃとりあえずスゴイ。 でも俺は、この物語がハッピーエンドだと思う。いわゆるテンプレート的な「めでたしめでたし」では無いにせよ、幸せな結末というのは様々な形があるのだから。 |
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道に落ちていた/帽子を拾ったら/名前が書かれていた/「三年一組 鳥肌実]/嗚呼あの人の帽子か/アムウェイと人と殴り合った時に落ちたのだな/僕はそう思って/帽子を破り捨てた/今日はよく晴れていて/絶好のピクニック日和/貴方が誰かの物になるなんて/あまり思いたくない/何か終わったようで/結局何も始まらず/時は矢のように流れて/デジリドゥーの音はもうきこえない/ああ/僕の肛門も閉鎖されそうです/ああ/貴方の肛門も閉鎖されそうですか? |
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ビートルズは良い |
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僕らは道行くカーニバル |