「ドリー」の日記帳 |
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姉上〜 |
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どもども。久々のドリーです。 最近ちょっと面白いことが起きつつあるんですが、ネタ的には最高に面白いんですが、まだ話が途中までしかいってないんで駄目になるかもなんで、詳しくは言えないんです。すごおく笑える話なんで、すごおおく言いたいのですが、そうもいかず辛いところです。 キーワードは「五反田」なのです。 |
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「かくして一人のナショナリストが作られた」 お前らの回りで左翼、反日的な奴はまだいる? http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/asia/1042109412/ ↑このスレを読んで、何か書いてみようと思った。 ニュース極東板って、どうも厨房臭くてあんまり好きじゃないんだけど、ここ一週間煙草買いに行く以外は外に出ていない暇人としてはニュース極東板を見るのもやぶさ かではない所存です。 最近、2chでも下火になってきたが、「左翼」「右翼」という下らない二元論が バカバカしくなってきた。世の中には共産党を支持してても皇室が大好きな人もいるし、君が代、日の丸に敬意を表す人で皇室が大嫌いな人もいる。そういうもんだ。 とはいえ、たまには二元論で物事を語るのも、ドラゴンボール的視点から見れば、なかなか面白い。そんなわけで、引きこもりの暇人は愛国心について語るのです。 どういう風の吹き回しか、俺は昔から政治経済のことに興味があった。きっかけはわからないが、中二の頃には既に論文大会の原稿に薬害エイズについて書いていたし、中三の頃の論文大会は核問題について書いていた。小学校、中学校についてはお約束の反日教育を受けて育ったので、「自衛隊は必要か、不必要か」なんていう噴飯もののディスカッションで俺は不必要派だったのを覚えている。ワイドショーやニュースの汚職事件の報道を見て、「日本人の政治家なんか糞だ。アメリカに全部任せればいいのに」とか思っていた。 それが変わったのは高校二年生。今では言うのも恥ずかしいが、兄貴が買ってきた小林よしのりの「戦争論」。ふと手に取ったあのマンガを一気に読み、俺はそれまで自分の中に眠っていた愛国心に気づいた。何かこう、恍惚とするような神妙な感じがする感情。アメリカ、中国をはじめとする戦勝国に対する怒り。それに気づいた。 よく考えてみれば下地はあった。俺の親は二人とも古い型の人間で、戦後すぐに産まれた。親父は空襲のせいで栃木の豪邸(と、本人は言っている)を消失して浅草に住むことになったし、母親は福島のド田舎に産まれて、母(つまり俺の祖母)からネガティブな面での愛国心(男尊女卑・朝鮮人への差別感情)を植え付けられている。 こういう面では実に親に感謝している。ちょっと違えば、俺も今頃は朝日新聞を取って、プロ市民の活動に参加していたかもしれない。「有事法制反対!住基ネットは国民層背番号制だ!!」とか街頭でギャーギャー言ってたかもしれない。 そんなわけで、俺は小林よしのり→インターネットという王道の道筋を通っていわゆる「右翼」になったわけだが、最近は右翼でさえ無いのかもしれないと思ってきた。もちろん、カテゴリー的には右翼だが、俺には右翼としての一番重要な資質が欠けているのだ。つまり天皇崇拝。前にもどこかで書いたが、俺は天皇制は制度としては実にクールだし、今の天皇陛下にもそれなりに敬意を払っているがそれは制度としての天皇陛下についてであり、天皇個人にではない。つまりそういう事だ。だが、もちろん俺は天皇制を支持している。理由は「格好いいから」だ。 俺は、ただ知りたいのだ。どうして日本はこんな風になってしまったのか、これから日本がどうなって行くのか。 自分の親を貶める奴はいない。普通に育った人間なら自分の親に敬意を払う。だが、幾分ましになってきたとはいえ自分が産まれ、育った祖国について敬意を払おうとしない奴が日本にはいる。自分の産まれた国を、自分で守ろうとしない、下手すると守らせようともしない奴がいる、それは実に馬鹿馬鹿しい現実だ。 俺には目標というか、ひとつの夢がある。 20年後か、50年後かに、日本がまともな国になって常任理事国入りし、防衛の為にSLBMで核武装した暁には、ひとりで祝杯をあげて、それから一切政治関係から足を洗おうと。 そんな日が一日も早く来る事を望む。 |
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まんこ |
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ネコネコ。 賢いネコ。 福島生まれのアメリカンショートヘア。 二年しか生きられなかったね。 でも、幸せだったよね。 段ボールの中、タオルに包まれて花と一緒に横たわるネコは寝ているようだった。 でも、もう鳴かない。 忘れないよ。 ありがとう。 ナナ。 |
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さあって、次回のドリーさんは。 ・「コロンビア号を接着剤で復元」 ・「蘇我ひとみさんと東京ぶらり旅」 ・「新保守党の熊谷氏の土下座を踏んづける」 以上の三本でお送り致します。 アイン、ツヴァーイ、ドライ。 うふふふふふ。 |
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中学生のころ、部活でバスケットボールをやっていた。 俺は三年間割合真面目に練習に出ていて、今でもその当時同じ部活をやっていた連中とは仲が良い。 俺は中学一年、二年ともいくら練習しても上手くならず、中学三年、引退間近になって急激に上手くなった。同じ学年の人数は15人いて、そのままやっていたら俺はスタメンは無理でも二軍には入れそうだったのだが、そう思う間もなく、俺は引退してしまった。部活を引退する直前の俺の口癖は「あと半年欲しい」だった。 そんなのばっかりである。 高校三年になって彼女ができた時も、七ヶ月つき合って初めは全然うまくいかなかった。上手く言えないが、お互いに年も違ったし考え方も性格も違ったので、はじめはどちらかと言えば苦しくてしょうがなかった。だが、春に始まって、夏を越えた辺りからだんだんとうまくいくようになり、秋の初めになると俺はこう考えるようになった。 「この人を100%信用しよう」 猜疑心とか不信感とか不安とか、そういうものはもう面倒だから捨ててしまえ。大丈夫、この人とならうまくやっていけるさ、と。だけど、そう思い初めてから少したった、本格的に寒くなる時期になると、その人からふいに別れを告げられた。 「そりゃないだろ」と、思った。 ふたつ、覚えていることがある。 ひとつは中学三年のはじめ、部活が以外にも早く終わったので教室に戻って、部活の友達と日が暮れるまで人気のない教室で大声で笑いながら部活の事とか、学校の事を話していたこと。 ふたつは2000年の秋、彼女と別れる直前に、ふたりでスターバックスで話していたこと。たわいもない話だったけど、なぜか異常に楽しかった。 「ねえ、ずっと一緒にいられたらいいね」と、彼女はその時言った。 この前TSUTAYAでベートーベンの第九交響曲を借りた。大げさでもったいぶっている所がちょっと気になるが、それを差し引いても実に悪くない。 サビの部分の歌詞はこういう意味である。 喜びよ、美しい神々の閃光よ 楽園の世界の娘よ 私たちは足を踏み入れる、炎に酔いしれつつ 神々しい、あなたの聖所へと あなたの魔法の力は再び結びつける 世の中の時流の剣が分け隔てていたものを 乞食が王侯の兄弟になるのだ あなたのその柔らかな翼が憩うところで 抱きしめられなさい、何百万の人々よ! このキスを全世界に! 兄弟たちよ、星の輝く天幕の彼方に 愛に満ちた父がいるに違いない いったい、ここまで歓喜できるにはどうしたらいいものか、俺にはさっぱりわからん。ただ、その圧倒的な喜びぶりの恩恵を受け賜うのが関の山だ。 俺ににはどちらかと言うとこっちの方が共感できる。 おやがかぎわたしや かぎのおとこが もうだめぽ |