「ガンナク・メーノーク」の日記帳
2002年の日記


12月25日(水) 01:08:41

なんかいろいろあった.
まあ,いいか.



12月18日(水) 01:16:20

背中がぞくぞくして、鳥肌が立つ。
吐き気さえする。
免疫はできるのか?

さて、何の話だろうか。



12月17日(火) 02:33:15

さすがに5日分まとめて書くのは疲れる。
冬休みに入ったので、時間があることはあるのだが。

今日は、ズボンがいつの間にか破けていて凹んだり、H王子の駅と
K王H王子の駅の間が想像以上に開いていることに憤ったり、
果たして本当に今日から冬休みなのか訝ってみたりしたが、
特にここに書くようなことはなかったように思われる。

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あぁ…



12月16日(月) 02:26:30

今日大学で、1992年にノーベル経済学賞を受賞したGary S. Becker氏の
講演会があったので聞きに行った。

氏の講演の前に、氏の業績などを(多分)うちの大学の教官が説明したのだが、
そこで、その人が何度も口にしたのが、「実証」という言葉であった。
実証とは言葉の通り、考え出されたある理論などを実際の社会等の事実によって
証明することを言う。
つまり、その理論は単なる理論に留まらず、ちゃんと実証されたものである
ということを言いたかったのだろう。
それ自体はとてもいいことだと思うのだが、
その言葉に、僕はこの教官が経済学に対してコンプレックスを持っているのではないか、と思った。
常々、経済学は理論に走って、現実を見ていないと批判され、
現実では役に立たない学問と言われてきた。
それが正しいかどうかはわからないし、例え役に立たないとしても、
それが即意味のないものになるわけではないのは、芸術などを見ればわかることだろう。
そして、その教官はそのような経済学に対する評価を知っており、そのことを負い目に感じていた。
だからこそ、氏が理論を「実証」したことを殊更に強調していたのだろう。

以上は自分の勝手な想像である。

で、氏の講演についてだが、はっきり言って意味がわからなかった。
理由は二つ。
分野の違い、そしてなにより講演が英語であったこと。
どれだけ聞き取れただろうか…

こいつはいかんな。うーむ。

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なし



12月15日(日) 02:05:06

P504iSが欲しくなった。
というより欲しくなるように洗脳された、といったほうが正確だろうか。
そりゃ、同じCMを2日間で300回以上見聞きすれば、嫌でも気になるものだ。
しかし、自分の写真を大画面で見ながら撮りたいと思うほど、
自分はナルシストではないが。

しかし、洗脳という言葉は少しおかしくないだろうか。
言葉通りに取れば、「脳」を「洗」うわけだが、
脳を洗ったら、何も残らないのではないか。
洗濯のように、真っ白になるだけではないか。
まあ、洗脳は英語で「brainwashing」と書くように、
英語の直訳のように思われるが、「染脳」のほうが意味的には
合っているような気がするのは自分だけだろうか。

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12月14日(土) 01:55:50

的士の話。
的士とは読んで字の如くタクシーのことである。
間違っても「てきし」などとは読まないように。
打的はタクシーを拾うことである。

タクシーの屋根の上にあるランプ(通称あんどん)の形が会社によって違い、
そのランプを専門に作っている会社があるというどうでもいいことは知っていたのだが、
夜、そのランプを点けているタクシーと点けていないタクシーがあることに気づいた。
大した違いはないかと思っていたが、交差点を数時間眺めざるを得ない機会があり、
そのときじっくり眺めてみたところ、大きな違いがあることが判明した。
その違いとは、ランプが点いているタクシーは人を乗せておらず(もちろんタクシーの運転手からの視点である)、
逆に点いていないタクシーは、人を乗せているのである。
それに気づいたのは、道端で必死に手を挙げて、明らかにタクシーを拾おうとしているのが
わかる人がいるのに、その前を素通りするタクシーを見たときである。
最初は不思議に思ったが、よくよく見てみると、素通りするのは皆ランプが点いておらず、
中に人が乗って(運転手除く)いるタクシーであった。
そこで、ようやくランプの意味がわかったのである。
(その他にも非常事態を知らせる意味などがあるそうだ。この辺を参照。)

これでまた一つ賢くなったと思ったが、これってもしかして常識

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一食浮いた



12月13日(金) 01:33:44

もうこの季節がやってきたのか。時間が経つのは早いものだ。
何の季節かをわざわざ書く必要もないかと思うが、鍋の季節などと
間違われるのも困るので書いておこう。
そう、いわゆるクリスマスシーズンである。

クリスマスという言葉に対する反応は真っ二つに分かれる。
それぞれがどういうものかを書くのは無粋だろう。
そして自分がどっちに属するかを書くのも…
まあ、これは自然とわかることだろうが。

クリスマスシーズンの到来を感じるのは、やはりイルミネーションである。
至るところでチカチカチカチカ光っている。
商店街ならまだしも、普通の家の前でも光っている。
あれには何か意味があるのだろうか。
暗い道を明るく照らして、人々に安心感でも与えようとしているのだろうか。

まあ、百歩譲ってそれは認めよう。
しかし、(大)通りのイルミネーションはいただけない。
あれは即刻やめるべきである。
別に、そこで幸せそうなカップルがイチャイチャするのを見たくない、
などという僻み根性爆発ですみたいな理由からでは、もちろんない。
僕はそんなことで怒るほど子供でない。むしろ紳士である。
その紳士の理由とは、資源の無駄遣いということである。
とってつけたような理由などと思ってはいけない。
日頃資源の節約に努めている人でさえ、イルミネーションに対しては、
「クリスマスだから」の一言でそれを容認している。
これは由々しき事態である。あのイルミネーションに使われる電気を
生み出すために、どれだけの資源が使われることであろうか。
しかも、そのイルミネーションの費用が公金で賄われていたら、
それはクリスマスというキリスト教の祭りに対してお金を出していることになり、
政教分離に違反するのである。

以上からわかるように、クリスマスのイルミネーションは国家の基盤、
ひいては地球の未来を揺るがしかねない重要な問題を孕んでいるのである。
よって、イルミネーションは即刻中止されなければならない。

(以上、間違っている部分あり。鵜呑みにしないように)

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なし



12月12日(木) 00:12:27

某カメラ屋さんで来年のカレンダーをもらってくる。

カレンダーにどれだけの意味があるのかはよくわからない。
現に今年、自分の部屋にカレンダーはなかった。
去年の12月のカレンダーが今年の10月ぐらいまで、壁にかかっていたぐらいだ。
そんな感じだったから、実はあってもなくても同じではないかと思う。

カレンダーを見るのは、毎日自分が着実に年を取っていることを
確認するためではないか、とふと思う。
それを肯定的に捉えるか、否定的に捉えるかは人それぞれだろうが。
あと、毎日変わらない生活を送っていると、今がいつなのか分からなくある。
それを確認するためでもあるのだろう。
ただ、今がいつかを知ることが本当に重要かはわからないが。

そんなことを思いつつも、ただで貰えるものは貰っておこうという貧乏性をいかんなく発揮して、
ちゃっかりカレンダーをくるくる巻いて、帰ってくるのであった。
さすがに2枚貰うことは憚られたので、止めておいたが。

全然関係のない話だが、
I教授、休講なら休講と前もって言って下さい。
教室に着いてから知りましたよ。
こんな所見ている可能性は万に一つもないが。

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なし



12月11日(水) 23:32:53

タマちゃんを探しに多摩川へ。

別にタマちゃんが流行語大賞になったからとか、タマちゃんに癒しを求めたとか、
そういう理由ではない。
もし前者のような理由ならば、中津江村まで行かなければならないことになる。
中津江村がどこにあるのか、既にわからないが。
流行語といっても所詮その程度のインパクトしかない。

と、まあよくわからない理由で、多摩川へと向かう。

多摩川にはもうタマちゃんはいないよ、なんて言ってはいけない。
神出鬼没の彼(勝手にオスと断定)のことだ。
もしかしたら、多摩川に戻ってきているかもしれない。
そのわずかな可能性に賭けてみようではないか。

と、思ったかどうかは定かではないか、自転車をえっちらおっちっら漕いで、
ようやく多摩川に到着。多摩川に来るのは実はこのときが初めてであった。

で、到着時の感想。

臭いなあ

ああ、これが都市を流れる河川の宿命なのかと思った。
橋の上からでも、鼻を襲う臭いはなかなか強烈なものがあった。
こんな所に一時期でも住んで、人間に愛嬌を振りまいた(ように見える)タマちゃんはすごい。

そんなことを思いつつ、僕は多摩川を後にした。

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寂しい



12月10日(火) 02:01:12

結局、何も変わっていない。



12月09日(月) 01:38:38

生命は尊貴である。一人の生命は、全地球より重い。
(最判昭23・3・12刑集2-3-191)

かっこいい。

人の生命がそこまで貴いものだとは思っていないので、
内容にはいささか同意しかねるが。
もちろん軽視しているわけではない。

それなのに、やはりこの言葉はかっこいいと思う。
うまく言い表せないが、いい。
何か崇高な感じがする。

こういう言葉をさらっと口に出せる人間になってみたいような、そうでもないような。

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なし



12月08日(日) 01:39:10

「夭逝」の読みを何の根拠もなく、今まで「ようせつ」だと思っていた。
思い込みって怖い。
まあ、恥をかく前に、正しい読みを知ることができたのはよかった。
ここに書いている時点で、恥を晒していることになるかもしれないが。

全く関係のない話であるが、
中身がない人ほど、上っ面く見せようとする傾向にある。
もちろん、上っ面が大きくて、かつ中身がある人もいるが、
一般的に見てそういう人は少ない。
自らそれを自覚したうえで、なおもそう振舞っているのならまだいいが、
そうでない人はなんとも痛ましい
具体的に誰がそうだとは言わないが。

自分は中身はないが、それについての自覚はあると勝手に思っている。
しかし、他人から見れば上に書いたような人と同じなのかもしれない。
もしそうだとすれば、自分のしていることを笑っていることになる。
なんとも滑稽なことだ。

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指輪



12月07日(土) 01:25:50

生命線が途切れているのは珍しいことなのだろうか。
生命線の長さが寿命だとするのなら、短命ということになるのだが。
平均寿命が80歳弱だから、途切れている箇所から推測すると30代ぐらいで
この世を去ることになりそうだ。
死んだ時には「夭逝した天才〜」と言われることだろう。



そういえば、手相って右手と左手どっちで見るのだろう。

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わからないか



12月06日(金) 00:09:11

「ラチェット効果」
「ラチェット&クランク」の売れ行きが好調で、それに合わせてPS2本体の
売れ行きも好調であることを言う…わけではない。
というか売れ行きがどうかなぞ、全く知らないし、興味もない。

で、ラチェット効果の話。
予告どおり業績連動報酬の話と関連性があるはず。

ある会社が業績連動報酬制度を導入している。
つまり従業員に対して、ノルマを課し、ノルマを超えた成果に対するボーナスを
与える、というような報酬制度である。
ちなみにこれと反対なのは、年功賃金制度となる(業績ではなく年功によって一律に報酬が決まる)。
従業員の業績や成果は会社から観察が可能である。しかしそれが従業員の適性や
能力によるものなのか、従業員の行動や努力によるものかを観察することは
不可能に近い。

さて、ここで会社と従業員間に長期的な関係があると仮定するとどのようなことが起こるだろうか。

例えば、従業員がノルマを大幅に越えた好業績を挙げたとする。
すると会社はどう思うか。会社からは従業員の適性や能力は観察不可能である。
よって、その従業員に課したノルマが低かったのではないか、と考える。
(その好業績が従業員の行動や努力によるかもしれないが、それはわからない。)
すると次期のノルマを引き上げる(「歯止め(ratchet)」を再セット)。

しかし、従業員も馬鹿ではないから、会社のそのような対応を予想して、
長期的関係がない時よりも努力を低めに抑えてしまう。
つまりたくさん努力をして好業績を挙げたら、会社に次期のノルマを引き上げられてしまうから、
ノルマを少し越えたぐらい努力に抑えようとしてしまうのである。
だから、本当に能力があるかもしれないのに、それが発揮されない可能性があるのだ。

これをラチェット効果という(微妙に違うかもしれない。詳しくは自分で調べてほしい)。

ラチェット効果が現れるというのは業績連動報酬制度の欠点である。
世間では業績連動報酬制度がもてはやされ、従来の年功賃金制度は
ダメだと言われている。
しかし、上のラチェット効果のような欠点があることをわかった上で
それを言っているのかは疑問がある。
つまり業績連動報酬制度のよい点ばかり見て、年功賃金制度の悪い点ばかりを
見てそういうことを言っている可能性があるのである。
昔の日本的な年功賃金制度ではダメで、新しい西欧的な業績連動報酬制度がよい、と
(皆がそうではないとしても)思っている(いささかこの言い方も紋切り型だが)。

別に、だから業績連動報酬制度はダメで、やっぱり年功賃金制度のほうがいいのだ、
とかいうことを言いたいわけではない。
業績連動報酬制度や年功賃金制度について、よく知りもしないくせに
安易にどっちがいいとか悪いとかいうその態度がよくないと思うのだ。

別にこれに限ったわけではないが、わかったような振りをして安直に
物事を語るのははっきりいえば悪だということだ。
しかも、往々にして自分はそのことに気づいていないことが多い。

と、偉そうなことを書いたが、自分はそのようなことをしていないかと言われると
そうは言い切れない点も多々ある。
まあ自戒の念をこめて、ということである。

よくわからない話は終わり。

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なし(サボり気味)



12月05日(木) 23:18:28

2日連続で1行日記だったわけだが、こういうのをメジャなチェンジという。
単に書くことがなかっただけということで…はない。
まあ1行日記にも味があることがわかったので、よしとしよう。
別に悪いとも思ってはいないが。

どんな教科・科目でもあることだと思うが、それを勉強していると、
笑ってしまうような内容が時々あることに気づく。
今日、刑法総論の講義で出てきた「勘違い騎士道事件」もその一つである。

勘違い騎士道事件
もうその名前だけで笑えてしまう。なんだこれは。
いわゆる判例の名前(通称)の一つであるのだが、うまい命名だな、と思う反面
ちょっと狙いすぎだなとも思う。もちろん狙って付けられたわけではないと思うが。
この判例の内容はそれ自体重要なことではあるのだが、「勘違い騎士道事件」など
という名前がついていると、単なるネタ的な判例にしか見えない。

一応以下判旨。
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原判決の認定によれば、空手三段の腕前を有する被告人は、夜間帰宅途中の路上で、
酩酊したAとこれをなだめていたBとが揉み合ううち同女が倉庫の鉄製シヤツターに
ぶつかつて尻もちをついたのを目撃して、BがAに暴行を加えているものと誤解し、
同女を助けるべく両者の間に割つて入つた上、同女を助け起こそうとし、次いでBの
方を振り向き両手を差し出して同人の方に近づいたところ、同人がこれを見て防御
するため手を握つて胸の前辺りにあげたのをボクシングのフアイテイングポーズの
ような姿勢をとり自分に殴りかかつてくるものと誤信し、自己及び同女の身体を防衛
しようと考え、とつさにBの顔面付近に当てるべく空手技である回し蹴りをして、
左足を同人の右顔面付近に当て、同人を路上に転倒きせて頭蓋骨骨折等の傷害を
負わせ、八日後に右傷害による脳硬膜外出血及び脳挫滅により死亡させたというので
ある。右事実関係のももとにおいて、本件回し蹴り行為は、被告人が誤信した播に
よる急迫不正の侵害に対する防衛手段として相当性を逸脱していることが明らかで
あるとし、被告人の所為について傷害致死罪が成立し、いわゆる誤想過剰防衛に
当たるとして刑法三六条二項により刑を減軽した原判断は、正当である。
(最判昭62年3月26日)
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内容も騎士道精神を発揮しすぎると(誤想)過剰防衛になってしまうこともあるよ、と
いうある意味笑える内容なのだが、自分的には「勘違い騎士道事件」という名前に
ノックアウトされてしまったのだ。
同じにおいを感じるものとしては、
「おれ帰る」共犯離脱事件
などがある。

次回は業績連動報酬について書くはず。

今日の画像(不定期)
なし



12月04日(水) 01:33:30

美的センスが自分には全くないことを再確認した日。



12月03日(火) 22:04:52

右瞼が痙攣していた。



12月02日(月) 23:38:34

マイナ・チェンジをした。
名前さえ変わっているのに、それでもマイナなのか、と疑問に思うかもしれないが、
所詮名前などその程度でしかない、ということを暗に意味している、のかもしれない。
では、何が変わればメジャなのか。
例えば、毎日俳句のみを書く、日記なのに月一回しか書かない、などが考えられよう。
まあ後者は事実上のサボりではあるが。

マイナ・チェンジをしたからといって、事実上以前と何ら変わりはない。
つまらない文章が載るだけである。強いて変わった点を挙げるとすれば、
それは見難くなった、という点だろう。
リーダ・フレンドリィではないが、見難くても見たいと思う人は見るだろうから、
(その数がほぼ0に近いとしても)特に問題はない。

多分近いうちの飽きて、元に戻るか、また変更するだろうけど。

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12月01日(日) 16:00:39

12月は挫折とともに始まった。
…なんて言うほど大層なことでもない。

本日行われた某テストの感想。
もろに自分が苦手な箇所が露呈した。
前々からわかってはいたが、実際にこういう形で明らかになると、
やっぱりちょっと凹む。
まあ、弱点がわかっただけよしとするか。
交通費分の費用対効果があったかどうかはかなり疑問であるが。

ちなみにその某テストで出た問題の例。
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第8問 次の文章を読み,下の問1・2に答えよ。

1mの長さの紐がある。ケン,アユミ,ゴロウの3人に,それぞれ,
この紐を左から何cmのところで切りたいかを指示してもらった。
各人の断点は,2か所までである。
ケンの指示どおりに切ると,紐は28cmと残りの部分に分かれる。
(ただし,28cmの部分が左側であるとは限らない。以下同じである。)
アユミの指示によると,43cmと残りの部分に分かれる。
その両名の指示どおりに紐を切ったら,紐は15cm,28cmと残りの部分に分かれた。

問1 紐は左から右へどのように切られたか,可能な組み合わせを次の@〜Bのうちから一つ選べ。〔3点〕
@15cm−28cm−57cm A28cm−15cm−57cm B15cm−57cm−28cm

また,ゴロウの指示によると,紐は9cmと27cmと残りの部分に分かれる。
3人の指示すべてを容れて紐を切ると,紐は1cm,7cm,8cm,27cmと残りの部分に分かれる。

問2 このうち,1cmの部分,8cmの部分,27cmの部分について,それぞれの左右の端は
誰の指示による断点か,それとも,もとの紐の端か。可能な組み合わせを次の@〜Eのうちから一つ選べ。〔3点〕
例:「ケン−もとの端」は,その部分の左端がケンの指示による断点,右端がもとの紐の端であることを表す。








   
1cm
8cm
27cm
 @ 
もとの端−ケン
アユミ−ゴロウ
ケン−アユミ
 A 
アユミ−ケン
ケン−もとの端
ケン−アユミ
 B 
ゴロウ−ケン
ゴロウ−アユミ
もとの端−ゴロウ
 C 
アユミ−ケン
ケン−もとの端
ケン−ゴロウ
 D 
ゴロウ−ケン
ケン−ゴロウ
もとの端−ゴロウ
 E 
もとの端−ケン
ゴロウ−アユミ
ケン−ゴロウ

(原文ママ。ただし改行、表のレイアウトは多少変更。表の前の改行は無視してほしい)
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別にこんな問題ができなくても、大半の人には何ら問題はない。
だから、そういう人たちにとっては、この問題ができたところで、
喜んでもしょうがないし、できなかったところで悲しむ必要はない。
そうでない人たちにとっては、いちいち書く必要もないだろう。
僕がどちらに属するか。それは自分でもよくわからない。

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どっちが主目的?