「ガンナク・メーノーク」の日記帳 |
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なんとなく11月を振り返る。 免許を取った。風邪をひいた。地震でもないのにぐらぐらした。 ギザギザについて考えた。裁縫らしきものをした。 二重人格になった。滝に打たれようと思った。 ときメモの知識を得た。しゃぶしゃぶしてきた。 なんだこれ。 12月も頑張ろう。 今日の画像(不定期) なし |
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いい肉の日。そんな日だった。 … 申し訳ない。 今日の画像(不定期) うっちー |
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しゃぶしゃぶしてきた。 もちろん数年前に話題になった(かどうかは知らないが)ノー○ンしゃぶしゃぶのことではない。 牛肉と豚肉をしゃぶしゃぶしてきたのだ。 恥ずかしながら今までいわゆるしゃぶしゃぶというのをしたことがなかった。 冷しゃぶは食べたことがあるのだが。 まあしゃぶしゃぶなんて食べなくても生きていけるわけであるし、 した事がないからといって、何か不都合が生じるわけでもないのだが、 しゃぶしゃぶというものに憧れを持っていたのは事実である。 いわゆる貧乏性と言うものであろう。 食した感想はここに書くと短すぎて逆にみそぼらしいので書かないことにする。 まあ、おいしかったよ、と。 多分、これが自分のお金じゃなかったらもっとおいしかっただろうな、と思ったり、思ったり… 今日の画像(不定期) なし |
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さくじょ(といっても大した事は書いていないわけだが) |
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「ときめきメモリアル事件」 事件だからといって、 僕がときメモにはまってしまって食事に手をつける暇もない、 とかそういう類のものではないことをまず最初に断っておく。 そうしないと後でどんな目で見られるかわからない。 まだ疑っている人がいたら、ここから適当に見繕って見るとよいだろう。 で、話の本題に入るわけだが、今日ある講義でこのときめきメモリアル事件が取り上げられた。 「どんな講義だよ、怪しいサークルの中とかじゃないのか?」 とか言う輩は海の底にでも沈んでいてもらいたい。 この事件は、「通常では考えられないパラメータのデータが入ったメモリーカードを 輸入・販売する行為は、著作者の同一性保持権を侵害するのではないか」ということが問題になった事件なのである。 以上二行はかなりうろ覚えなので、あまり信用できない。 詳しいことはリンクをたどればわかるだろう。 つまりそういったことを扱う講義なのだ。 で、その事件を取り上げた際に教授がゲームの内容を説明した時のことである。 教授も詳しくは知らないようなので、 「これこれで、あれそれで、ムニャムニャ……」 などと言って、最後に 「これであってますよね。」 と聞いたのだ。 別に本当に話した内容が完全に合っているかを聞いているわけではないのは明らかである。 ただ、こんな感じのゲームですよね、ってな雰囲気で聞いたはずなのに、 (現に話した内容は、大体合っていた、と思う) そこである学生Xが一言、 「違います」 え?何が違うんだ? すると学生は続けて、 「これこれの所は、あれそれじゃなくても、どれそれなんですよ」(詳しい内容は敢えて割愛) とのたまった。 その後付け加えるように、 「そういう内容だと聞いたんですけどね」 と、慌てて言った。 しかし、その言葉は既に聞き入れられていなかっただろう。 なぜなら教室内でいっせいに失笑が起こったからだ。 爆笑とかならまだいい、失笑である。これはたちが悪い。 もし聞こえていたとしても、単なる苦し紛れの弁解にしか聞こえなかったであろう。 しかも、その違うと言った点は話の本筋からずれていて、 合っていても、合っていなくても、さして問題ではない所であったのだ。 これでX君には、見事にときメモラーというレッテルが貼られてしまったである。 別にときメモをやってはいけないとは言ってませんよ。 むしろやりたければ、どんどんやって構わない。 そんなことで人間がどうこうなるわけではない(一部の人を除く)。 だから、別に笑われることではないのだが、いかんせんタイミングが悪かった。 そう、あの、教授の 「合ってますよね」 の言葉に間髪を入れずに、 「違います」 と答えたタイミングが。 X君としては、間違っていたから間違っていると言ったまでのことなのだろう。 それは正しい。その気持ちは痛いほどよくわかる。 ただ、ただ…そのタイミングだけがどうしても悔やまれるのだ。 その後、さらにときメモについて説明することがあったのだが、 教授は合ってますよね、とそのX君にわざわざ確認する始末。 いやはや…タイミングってのは恐ろしいものだ。それがよくわかる教室事例である。 X君が僕である、というオチではない。 お間違いのなきよう… 今日の画像(不定期) 最高裁判決 |
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「ゲリマンダリング」 これを見て、何か不快なものを思い浮かべた諸氏は人生を見つめなおすべきだろう。 かく言う自分もそうである。滝にでも打たれてきたほうがいいのだろうか。 別にゲリマンダリングについて、これ以上語る気もないので、これで終わり。 そういえば、今日は雨が降っていたので、久しぶりに傘を差したのだが、 ふと見上げると、傘の天頂部に近いところが破けていた。 前々からなぜか柄の部分から水が滴ってくるのが不思議でしょうがなかったのだが、 謎はすべて解けた。 この破け目が原因だったのだ。まあ小学生でもわかることではあるが。 なぜすぐわからなかったのだろうか、と自分でも思うわけだが、 普通傘の天頂部なんて見ないでしょ? と、馴れ馴れしく同意を求めてみたが、実際の所はどうなのだろうか。 皆見ていたら、僕はちょっと悲しい。 そんなところ見て歩いていたら、危ないとは思うが。 このままだと使えないので修復、ガムテープで。 流石に紙だとやばいと思ったので、布にしたが。 これでいいのか…? その答えは、次に雨が降ったときにわかるであろう。 今日の画像(不定期) 修復前 修復後 |
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というわけでちょっと真面目な話。 もちろん自分基準の真面目さである。 ある人にとっては、とてもくだらない話かもしれない。 いつもくだらない話をしているという意見は甘んじて受けよう。 そのままゴミ箱行きだが。 先日、先々日と二重人格を多少話題にした。 そこで二重人格について、誰かの意見の使い回しのようなことを書いてみる。 俗に言う二番煎じというやつである。しかもほとんど味のないものだ。 こんなのを飲んだら(読んだら)逆に身体に悪いかもしれない。 そんな文章である。なるべく読まないことをお勧めする。 二重人格と聞いて、あまりよい反応をする人はいないだろう。 また、進んで二重人格になりたい、という話も聞いたことがない。 何か自分とは関係のないこと、二重人格は精神の病のようなもの、 というような認識が一般的ではないかと勝手に推測する。 しかし、本当にそうなのだろうか。 僕は誰もが二重人格もしくはそれ以上の人格を持っていると考える。 だからもちろん僕も二重人格、もしくはそれ以上の多重人格者ということになる。 例えば、こういう経験はないだろうか。なければないで構わないが。 友人でも、家族でも、ネット上の知り合いでも誰でもいいが、 その人に対して、自分は不幸だ、とか、今はとても忙しい、などという。 そして相手がそれに対して、慰めの言葉を掛けたりする。 表面的にはごくありきたりな話である。 しかし、自分の頭の別な部分では、 「自分を慰めてもらいたい、自分に構って欲しいからこんなこと言っているんだろうな。」 と、表にでている自分の行動を一段上から見ているようなこと、 つまりメタ的(使い方あってる?)なことを考えている。 さらに別な部分では、 「そうやって自分の行動を解説して、わかったつもりになっているのを自慢したいだけだろ。」 と考える。(以下さらに続く。) これはまさに自分の頭の中に様々な人格がいることに他ならない。 だが、傍から見れば、そういう風には多分見えないだろう。 それはどの人格が表に出るかが、しっかりとコントロールされているからだろう。 つまり、ある人格は自分の中にある他の人格を認識しているということである。 このように考えると、いわゆる世に言う多重人格の精神病者というのは、 その人格間のコントロールがうまくいっていないか、他の人格を認識していない人たちのことを指すことになる。 そうすると、一般人と考えられている人と多重人格の精神病者と考えられている人の差は、 大してないのではないか。紙一重といっても過言ではない(やっぱり過言かもしれない)。 いつ何時、自分が精神病者というレッテルを貼られるかわからない。 そしてその可能性を皆持っている。 それが本当の姿なのかもしれない。 以上は私見(それにしては妙に断定口調が多いが)なのであまり真に受けないでもらいたい。 「どうでもいいよ、そんなこと。」 というのが健康的な思考だろう。 今日の画像(不定期) なし |
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先日の日記によって、僕が二重人格である可能性が明らかになったわけだが、 もし、本当に二重人格だとしたら、この二つ目の人格とは一体なんだろうか。 それは、もしかしたら約束された人格なのかもしれない。 つまり、こういうことである。 その人格は何かよろしくない面を持っていた。 それが具体的にどういうものかは知る由もないが。 そして、誰かの手によってその人格は表に出ないように封印された。 しかし、その封印が綻びはじめ、少しずつ表に出てきている。 または、最初から人格の交替が予期されていたとも考えられる。 どちらにせよ、第一の人格は第二の人格の存在を知らない。 今度は逆に第二の人格によって、第一の人格は封印されてしまうかもしれないのだ。 なんとも恐ろしい。 と、まあ上のストーリーはある小説のパクリなわけだが(本当はもっとうまいのは言うまでもない)、 誰かこのネタがわかる人がいたら、連絡モトム。 一緒に語り合おうではないか。 もうちょっと真面目な話は明日にでも。 今日の画像(不定期) なし |
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下にある11月21日の変な文章を書いたのは誰だろうか。 書いた覚えがないのだが。 すると考えられる可能性は二つある。 一つは全くの他人が書いたということである。 つまり誰かがパスをクラックして、あの文章を書いたということだ。 そのクラッカ(ここでは仮に甘木君としておこう)の目的はなんだろうかといろいろ考えた見た結果、 唯一の合理的な答えを得るに至ったのである。 それは、僕のこの日記からにじみ出てしまう高潔な人柄に嫉妬して、 意味不明な文章を書くことによって、それを貶めようとした、ということである。 貶めるなら、もっとくだらないことを書けばいいではないか、と思う諸氏もいるかもしれないが、 それは甘木君にはできなかったのである。 なぜなら、いざ貶めようと文章を書こうと思ったはいいものの、 僕の文章が発する聖なるオーラに気圧されてしまって、良心の呵責が生じ、 あのような文章しか書けなかったのである。 さしずめ、僕は現代のキリストといった所だろうか。 二つ目は僕自身が書いたということである。 当たり前じゃないか、と思う君はせっかちでおっちょこちょいな人間だと推測できる。 ここで言いたいのは、書いたのが僕ということの意味は、僕の肉体が書いたということである。 つまり、僕の手がキーボードを打ってあの文章を書いたのは確かだが、 書いたのは僕ではない、ということである。 結論を言ってしまえば、あの文章を書いたのは僕の別人格、ということだ。 その目的は一つ目と同じだろう。 つまり甘木君=第二人格という風に考えればよいだろう。 さて、どちらが正しいかはわからないが、この検証を通して一つわかったことは、 今後、この日記に書かれた意味不明な文章はすべて甘木君によるもので、 僕の窺い知るとことではない、ということである。 全部意味不明だよ、とか突っ込む輩はもう一度小学校からやり直すことをお勧めする。 今日の画像(不定期) さらに成長 |
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夕暮れ時、僕は自転車に乗って、街中を駆け抜けていた。 頬にあたる11月の風は冷たくも、心地よかった。 |
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1973.04.04 1975.04.30 1976.04.14 1985.07.17 1987.04.22 2002.09.11 この日付の意味がわかっても、多分人生には何の関係もない。 だから特に書く必要もないだろう。所詮その程度のことである。 今日は心理学に関する実験を受けた。 被験者は大概、こういった実験を受ける場合、身構えてしまうもので、 「よーし、お前たちの望むようなことは答えないぞ」 なんて考えるのである。 しかし所詮は素人であって、そういった考えは実験者からすれば、 すべてまるっとお見通しなわけだ。 だから、大体の場合、被験者は実験者の望むような答えをしてしまうのである。 しかも、被験者はあくまで実験者に対して対抗しているつもりなのであるから、 こういった状況は実験者からすれば、なんとも滑稽に違いない。 そして、僕も上の例に違わず、見事に実験者の意図にはまったのであった。 やはり相手のほうが一枚上手であったか。多分七,八枚上手だったろう。 でも、実験中になんか変だな、とは思った。何かが違う、と。 そう思ったことで一矢報いることができただろう。 負け惜しみでした。 というか、そもそも対抗する必要もないのだが。 今日の画像(不定期) なし |
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なぜ勝たなければいけないのか。 その理由を言える人は少ない。 そう刷り込まれてきただけではないのか。 勝ち負けの先に何があるのか。 本当にわかっている人はいるのか。 そんな悠長なことを言っている場合ではない。 人は理想だけでは生きていけないのだ。 では、なぜ生きなければいけないのか。 死にたくないから、という消極的なものではなく、 積極的な生の目的があるだろうか。 生きるのに目的なんかいらない。 そうかもしれない。 でも時には立ち止まって、それを真剣に考えるのも必要ではないだろうか。 そして今、僕は明日の昼食を何にするか考えている。 今日の画像(不定期) 来年 |
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色んな意味で切羽詰っている。 いろいろなものに決断を下さなければいけない時期のようだ。 本当はそんなに大層なものではないけれど、このままでいるのはよくない。 しかし、もともと決断するのが遅い人間だから、そう何個も一気に処理できないのだ。 高速化のためのアップグレードは出来ないから、一個一個処理するしかない。 なんとも当たり前の結論に達したので、終わる。 今日の画像(不定期) なし |
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咳をしても一人 |
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久々にサイホウなるものをやった。 単に取れたボタンを縫い付けただけだから、裁縫とは呼べないかもしれないが。 この右手に針を持ったのは、中学生以来だ。 針の穴に糸を通すあの緊張感、あの指先のプルプル感。 その瞬間がたまらなく好きだ。 それから格闘すること約30分。ようやく終了。 その出来栄えは… 目も当てられない、とはまさにこのこと。 うーん、やはり腕が落ちたな。右手は錆びついてしまっていたようだ。 将来の裁縫界を背負って立つといわれたこの僕も寄る年波には勝てなかったようだ。(以上妄想) しかし、もうちょっとうまく出来ないと意味がない。 これでは、ボタンがついていないほうがまだましである、とは流石にいわないが。 裁縫ができる男と呼ばれたい。 そして、針供養をしてみたい。 これは世の男性の共通した願いではないだろうか。 以上、やっぱり妄想。 今日の画像(不定期) 何これ?(多分誰もわからないだろう) |
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確か15日にちょっと感動したことがあったから、 それを書こうと思ったが、忘れてしまった。(これを書いているのは17日。) 一昨日のことを忘れるというのは、大して感動していなかったからか、 もしくは単に記憶力がないだけだろう。 後者のほうがまだ救いがあるが。(別の意味からすれば、後者のほうがやばいが、気にしないでおこう) いや、何で感動したかはわかっているのだ。しかしその具体的状況が思い出せないのだ。 多分この本を読めば思い出すはず。 そのうち買うだろう。文庫落ちすればすぐにでも買うのだが。 というわけで思い出したら、またここに書くことにしよう。 その可能性は限りなく低いだろうけど。 今日は母親の誕生日。 53回目の誕生日おめでとう。 不甲斐ない息子で本当に申し訳ない。 絶対に恩返しします。 そのときまでどうか健康でありますように。 今日の画像(不定期) なし |
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新潮文庫に対する僕のもどかしい心情を吐露。 それは、 「なぜ文庫の上の部分がちゃんと切りそろえられていないんだ?」 ということである。 意味がわからない人は近くの本屋に行って確かめてみよう。 ギザギザしているから。 まあ、これは新潮文庫以外にもあるわけだが、メジャな文庫ということで、 ここでは新潮文庫を取り上げる。 まあ、昔に発売されたのならまだわからないでもない。 そういう技術がなかったからだ、と言われれば、一応納得するだろう。 しかし、今発売されるものでもそうなのだ。 これは一体なんなんだ? 今現在もそういう技術がないのだ、と苦し紛れに考えることもできる。 しかし、講談社文庫などを見れば、一目瞭然だが、ちゃんと切りそろえられている。 つまり、技術云々の話じゃないわけだ。 すると原因はなんだ? そういう技術を導入するお金がないのか? まさか天下の新潮社がそんなはずはない…いや、もしかしたらあるかもしれないが。 まあ、妥当な考えとしては、コスト削減というのがある。 つまり、見た目はちょっとよくないけど、その分安くするよ、と。 確かに新潮文庫は他に比べて、多少は安いが、そんなところをケチってもらいたくない。 これは単なる主観だが。 後はあんまり考えたくないが、所詮文庫だから、というのも考えられる。 文庫なんて安くて、そんなに利益上がらないから適当でいいや、 という理屈である。現にハードカバーで上が揃っていない、というのは見たことがない。 (もし見たことがあるという人は一報してほしい。) そういう状況をかんがみると、やはりこの考えが合っているのだろうか。 なめられたもんだなあ。 と捨て台詞を吐くことしか出来ない貧乏学生なのであった。 今日の画像(不定期) ギザギザ |
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死にゆく姿は美しい。 慣れない表現を使うと後が続かないな、と実感。 木々の紅葉がきれいだというのは、死にゆく姿が美しいということではないだろうか。 木の葉にとってみれば、紅葉そして落葉は死にゆく過程に他ならない。 つまり紅葉を見てきれいだと思うその背後には、死にゆくものへの憧憬が感じられないだろうか。 人には本来そのようなものがあるのではないか。 その衝動が高まって、実際に人を殺してしまうことも。 死への過程、死そのものを見てみたくなる。 そして殺人を犯す。 人が死ぬを見てみたかったから。 そんな殺人の理由はきれいだと思う。 一般的にみれば、おかしいと思う。何か精神を病んでいるのではないか、と考えるだろう。 しかし、これは人の欲求そのものではないだろうか。 もちろん、理由がきれいだから人を殺していい、ということにはならない。 理由が何であれ、殺人は犯罪である。 ただ、殺人が犯罪かどうかという話は別として、 純粋に、その理由がきれいだと思った。ただそれだけのことである。 こういうことを書くと、なんか精神が病んでいるように見えそうだ。 どう見られても構わないが。 で、僕が実際に犯罪を犯したら、 「犯人は前にこんなことを書いていた」 とか言って、この文章と犯罪を結び付けようとするんだろうな。 その光景を想像するとなんか滑稽だ。 今日の画像(不定期) なし |
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小学校高学年の頃。 音楽の授業中、先生がある生徒K君にこんなことを言った。 「何で靴下履いてないの?靴下履かないから風邪をひくのよ」、と。 説明を加えると、K君はそれまで靴下を履いていなかった(その日に限らず、夏でも冬でも)。 K君は風邪をひいていた。が、別にひ弱というわけではない。 ついでに言うと、音楽の授業で使う教室は上履きを脱がなければいけない。 つまり先生はK君が風邪をひいたのは靴下を履いていないからだ、と言っていることになる。 考えてみれば、すぐにおかしいことに気づく。 靴下を履いていないからといって、それがすぐに風邪に繋がるわけではない。 靴下を履いていても、風邪をひく時はひく。 しかし、そのときは、 「へえ、靴下をはかないと風邪ひくんだ」 と思った。 かどうかは定かではない。多分思っていない。 「ちょっとかわいそうだな」 と思った。 これが正解だろう。 まあどうでもいい。 別の可能性として、靴下を履いていないのが気に入らなかったから、 風邪とこじつけて注意した、というのが考えられる。 しかし、前述のように、靴下を履いていなかったのは、そのときだけではない。 いつも履いていなかったのだ。 だからそのときにかぎっていうのはおかしな話である。 多分、その時先生の機嫌が悪くて、ちょうど目に付いたK君に八つ当たりした、 というのがあっているんだろうな、と思う。 だから、いつも靴下は履いておこう、という他人の振り見て我が振りなおせ的な話では全然ない。 頭上に靴下があったから、ちょっと昔のことを思い出しただけだ。 記憶違いかもしれないが。 今日の画像(不定期) ロマンを感じる |
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さぼり癖がついたようだ。つまりサボタージュな人になったということだ(違うけど)。 「何の」についてはあえて書く必要もないだろう。 それはつまり飽きた、ということなのか。 そうではない。 単にネタがないのだ。 特に刺激のない生活を送っているからだろう。 グラフを書けば、横に真っ直ぐな線が引かれることだろう。 その線が高い位置にあるのか、低い位置にあるのかは、まあ、どっちでもいい。 何も、変化に富んだ生活がしたいというわけではない。 凸凹のない、静かな生活。 そのほうが人として自然なのかもしれない。 どちらがいいかは、人それぞれだから、特に問題ではないのだが、 こういった場面になると、前者のほうがいいな、と思う。 じゃあ、いまから変化に富んだ生活をしよう、と思っても なかなかできるわけではないが。 でも、待っているだけでは変化は訪れないわけで。 うーん。 というわけで結論。 「ネタなんて探せばそこらに転がっているだろ。」 「というか、日替わりテーマがあるじゃん。」 仰る通りでございます。 今日の画像(不定期) 成長 |
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思わせぶりなことを書く、言う、する人はあまり人から好まれない。 何かしらの自分が知らないことを、その人が握っているからだろう。 握っているだけならよい、その握っている手を放すか放さないかわからない、 そんな微妙な所で、相手をじらしているからだ。 しかし、これは人に興味を持たすにはよい。 例えば本に思わせぶりなタイトルがついていると、つい手にとって見てしまう。 ただ不幸なのは、そういう思わせぶりなタイトルがついているものほど、 中身はたいしたことがない、ということである。 これは新聞のラテ欄などにも言えることだろう。 こういう思わせぶりな人に対する対処法は、無関心を装うことである。 そういうことをする人は、大体顕示欲が強かったり、人を思いのままに操ってみたいと思っていたり、 サディスティックな面を持っていたりするのである。 だから、それに対して無関心を装えば、相手の興味を引くために、 もしくは興味を失って、タネを簡単に明かすか、そのままタネを仕舞ってしまうだろう。 どちらにしろやきもきすることはなくなる。 我慢が出来ない現代人にはお勧めである。 以上はある程度実体験に基づいている。どちら側の人間かは書かないが。 今日の画像(不定期) なし |
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自分のことを棚に上げてるね。 わかってるのかなあ。 |
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ぐらぐらする。 もちろん地震が起きているわけではない。気づいていないだけかもしれないが。 座っている椅子が壊れかけているからではない。そろそろ買い替えの時期ではあるが。 お湯が煮立っているわけでもない。うちの電気コンロはつけるとブレーカが落ちる。 いうなれば欠陥住宅である。 そんなことはどうでもいいが、ぐらぐらするのだ、自分自身の世界観が。 果たして自分はこの世界に実在するのであろうか。 脳味噌だけが存在して、それに電気的刺激を与えられて、 見たり、聞いたり、嗅いだり、味わったり、触ったりしているつもりになっているだけではないのか? そうでない確証がどこにあるのか。 もしくは、これがあるドラマの一場面である可能性はないのだろうか。 自分以外の人は皆役者で、自分ひとりだけがそのことを知らない。 前にそのような映画があったと思うが、自分がそうでないと言い切れるだろうか。 自分自身に限ったことではない。 ありきたりだが、明日地球が爆発することはないのだろうか。 誰かが言うだろう、 「今までそんなことはなかったから、明日もない。」 もっともなことである。しかしこれは本当なのだろうか。 過去の経験から未来の予測はできるのだろうか。 明日地球が爆発するか、しないかの確率は50%ずつではないのか。 いままではたまたま爆発しなかっただけではないのか。 また、世界が何千年、何万年、何億年と続いているのは本当なのだろうか。 世界が5分前にすべて出来たとしてもおかしくはないのではないか。 昔の記憶、資料などと呼ばれるものすべてが、5分前に出来たとしたら、 それで世界は成り立ってしまうのではないか。 こんな風に今まで当たり前だと思っていたことが、実は何の根拠もない、 単なる思い込みでしかないとしたら… そう疑ってしまった時点で世界がぐらぐらし始めているのである。 確たるものが何もない。自分自身さえ疑わしく感じてしまう。 そして、そうなってしまったが最後、もう後には戻れないのである。 それは哲学にちょっと足を踏み入れてしまったからかもしれない。 いや、踏み入れたとまでもいえないだろう。 踏み入れようとして、片足を上げようかと思っているぐらい、が適切だろうか。 しかし、それでも僕の世界観は既にぐらついている。 いかに今まで、脆弱な基盤の上に立っていたかが分かる。 それに気づくことがいいとかそういうことを言いたいのではない。 むしろその脆弱さに気づかないほうが幸せかもしれない。 しかし、僕はほんの少しだが、それに気づいてしまった。 気づかない振りをすることは多分無理だろう。 自分、不器用ですから。 今日の画像(不定期) なし |
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三日坊主の欄がだんだん大きくなっているのは気のせいだろうか。 主食は怠慢、副菜は多忙といった所であろう。 食われないように注意したいものだ。 この前、ヘブンアーティストの三雲いおり氏の大道芸を見た。 いわゆる大道芸というものを、ちゃんとこの目で見たのは多分初めてだろう。 なんともありきたりな感想だが、その芸に感嘆し、そして笑った。 プロなんだから当然だろうとも思う。観客を満足させられなければ失格だろう。 しかし、子供のみならず大人までもが、「おおー」と驚き、「わはは」と笑う。 (実際にそんな言葉を発していたかは定かではないが。) こんなことができる職業、そして人はあまりいないのではないだろうか。 だからそういう人を見ると素直に尊敬してしまう。 多分自分では出来ないことだからだろう。なりたいとは思わない。 だからどうしたという話ではない。 単に凄いと思っただけである。 何とも面白みのない日記だが、これにて終了。 眠いのだ。そして喉が痛い。 自業自得か。 今日の画像(不定期) 出が悪い なんの? |
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朝起きて、諸々の朝の行動をした後、着替えようと思い、ズボンを手にとる。 ど・れ・に・し・よ・う・か・な・? などと悩むほどズボンは持っていない。 そのズボンを広げたとたん、あるにおいが鼻をついた。 それがなんなのかは書く必要もないだろう。 そのズボンは15秒後、洗濯機の中にいた。 朝の貴重な時間が無駄になってしまった。 というわけで、今日はズボンを穿かずに出かけた、 わけではなく、 代わりにももひきを穿いて出かけた、 わけでもない。 別なズボンを穿いて出かけた。 特にオチはない。 まあ、これがT鳥遊N無君ならば、スカートでも穿くとことだろうが、 あいにくそのような趣味は持ち合わせていない。 いや、もしかしたら心のどこかでは、穿いてみたいと思っている自分がいるかもしれない。 怖いような、 (取り消し線のタグがわからないから、わざわざぐぐったのは秘密である。) そんなこんなで朝から気分はブルー、空もブルー。 そして夜は更けていく… どこかに書いておかないと忘れそうなので、ここに書く。 ここに書いても忘れそうだが。 こんなの(http://www.dnc.ac.jp/new/houka_tekiseiboshu.html)を12/01に受ける。 こういう可能性もあるんじゃないかな、程度の勢いで。タダだし。 あ、でも交通費がかかるなあ。 今日の画像(不定期) 誰を思い浮かべる? |
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流石に4日分一気に日記を書くと疲れるものである。 なら毎日書けばよいではないか、とごもっともな突っ込みをされてしまうとそれまでだが。 なんとなく風邪をひいたようである。 原因は多分昨日だろう。というかそれしか考えられない。 11月に半袖Tシャツにハッピじゃ、風邪をひくのは時間の問題である。 ハッピを着てハッピィ、なんていっている場合ではない。 しかし、あの夢は見なかったから、ひきかけ、といったところだろうか。 喉が痛い+鼻水が止まらないと来れば、90%方風邪をひいていることになるだろうが。 安心感を得るために薬を飲んで、さっさと寝れば、そのうち治るだろう。 後、栄養価のある食べ物でもあれば、もっと早く治るかもしれないが、 あいにくそんなものを買う余裕などない。 身体が資本とはいうものの、それにかけるお金は少しでも減らしておきたい。 その分を……に使うのだ。……の部分は想像におまかせするが。 明日から大学も始まることだし、今日も暖かくして、さっさと寝よう。 今日の画像(不定期) なし |
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Sには向かない職業。 いや、お金がもらえるわけではないので、ボランティアといったほうが正確であろうか。 逆にMにはたまらないだろう。お金を払わなくてもよいのだから。 今日は学園祭最終日。そのフィナーレの時のことである。 そこでは男と男のぶつかり合いが行われる。もちろん相撲をとるわけではない。 簡単にいうならば、階段の上に上ろうとするものと、 それを阻止するもののぶつかり合いである。 なぜそんなことをするのか、その理由は、 なぜ山に登るのかと聞かれて、そこに山があるからだ、と答えるように、 そこに階段(ステージ)があるからだ、としかいいようがない。 しかも、昇ってこようするものは大体が酔っ払いである。そして体格がよい。 そんなものたちが肩を組んで、階段めがけて突進してくるのだ。 その突進を階段の手前で、こちらも肩を組んで止めるのだ。 もちろん一列では足りないから、二列、三列になって、止めようとする。 それでも昇ってこようとするものを上から突き落とす。 これで最初の文の意味がわかったであろう。 つまり、この突進を止めるほうの役がSには向かないのだ。 逆に言えば、Mにはたまらないのだ。 突進される、頭突きをされる、引っ掻かれる、倒される、押しつぶされる… こんなこと、普通の人なら、絶対にやりたくないだろう。 僕も実際にやってみて、こう思った。 これは一回やれば十分である、と。 むしろやるべきではなかったと後悔している。 つまり、僕はMではなかったのだ。とすると僕はSなのだろうか。 うーむ。 と、まあこんなことを大学生になってもやっているのはどうなんだろうか。 はっきりいって、傍から見れば、何をやっているのかさっぱりわからないだろう。 酔っ払いが階段を上ろうと突進して、それを必死になって止める。 しかも、そんなもみくちゃの状況で歌を大声で歌うのだ。 突進する側も止める側も一緒になって。 正気の沙汰ではない。 しかしこれが祭りなのだろう。 そしてこれによって愛校心というのが生まれるのだろう。 そんなことで生まれる愛校心なんていらない、と言われてしまえばそこまでだが。 そんな愛校心の代償に得たものは、筋肉痛と妙に酒臭いズボンである。 気になった人はぜひ来年見に来て欲しい。多分引くだろうが。 今日の画像(不定期) 3日分の給料 |
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歌手生命の危機である。 「誰の?」 なんていう陳腐な問いを発してはいけない。 もちろん僕のことである。 宇多田ヒカルが病気とか(古いか)そういう次元の問題ではない。 もちろんこっちのほうが次元は上である。 その問題というのは、喉を痛めてしまったことだ。 声を一日中張り上げていたせいで、自他ともに認めない、 僕の自慢のヴォイスが出なくなってしまったのだ。 一過性かもしれないが、もしかしら長引くかもしれない。 別にどんな声でもいいではないか、と思われるかもしれないが、そうではないのだ。 ここには重大な問題が含まれているのだ。 そう、何を隠そう僕は歌手だったのだ。 というのはもちろん嘘である。信じる人は誰もいないだろうが。 声優だったのだ、のほうがまだリアリティがありそうなのが怖い。 しかし、今歌手じゃないから大丈夫、といって安心するわけにはいかない。 いつこの声を見込まれてスカウトされるかわからない。例えばTKとかに(また古いか)。 そのときにもう声が出せないとしたら、それは世界の損失ではなかろうか。 そんなことになってしまっては忍びない。 何とかもとの声が出せるように努力せねば。 というわけで歌手の小金沢君も使っているフィニッシュコーワを買ってこよう。 以上、妄想爆発の駄文。 たまにはこういうのもいいもんだ。 喉が痛い、というところだけは本当である。 |
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4日に書くといいつつ、既に5日。 いろいろ事情があったのだが、それについては後日。 さて、何の話だったか。 そうか制服の話か。日記を見てやっと思い出した。 はじめに断っておくが、制服の話を書くからといって、 僕が制服フェチであるとか制服萌えである、とか思わないで頂きたい。 どこどこの学校の制服のデザインがいい、とか、 どこどこの学校の制服を持っている、とか、そんな趣味は全くない。 こういうことを書いておかないと後でどんなことを想像されるかわからない。 人の想像力は豊かである。時にはあらぬことも想像してしまう。困ったものだ。 しかし、逆に強調しすぎるとかえって怪しまれてしまう。 そのさじ加減が難しい。大さじ2杯ほどが適量だろうか。 やっと本題。 1日に運転免許センタに行ったことは既に書いたが、 通っていた高校がその近くにある。 まあ、最寄駅が同じという程度であるが。 学科試験は朝っぱらから行われる。 だから、ちょうど駅に着く時間帯は、朝の通勤・通学時間にあたるのだ。 そこで母校の生徒を見たのだ。 女子生徒の制服が変わったことは風の噂で聞いていたので(自分から調べたわけではない)、 それとなく見てみたところ、確かに変わっている。 なぜ変わっている事がわかったのかというと、 「前の制服を完全に覚えていたから」 ではもちろんない。それでは変態だ。 いや、変態は言いすぎか。 ちょっとおかしい。これぐらいにしておこう。 本当の理由は簡単で、見た目が大きく変わっていたからである。 無地のグレーのスカートが、(確か)紺系のチェックのスカートになっていたのである。 これなら制服フェチでなくともすぐにわかるであろう。 これが、スカートの折り目の数が変わった、とか、 スカートに使われている生地が変わった、とか言うなら、 それは本当の変態である。捕まるかもしれない。ご用心されたし。 その新しいスカートがいいとか悪いとか、書くつもりはない。 制服評論家ではないからだ。 ただ、前のよりはいいかもしれない。じっくりと見たわけではないけれど。 そもそも変わった理由が、前のやつがダサいと言われていたから、ということなのだが。 制服は日々進化している。 しかし、男子の制服は変わっていない。 今日の画像(不定期) なし |
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11月ということで心機一転、書き方を変えてみる。 昨日の日記で暦に合わせて区切りをつけるのは受動的でよくない、 ということを書いたが(実際にはこれを書く数時間前である)、 このことと、一行目の文は何ら矛盾しない。 なぜなら、書き方を変えようと思ったのが、たまたま月のはじまりであっただけで、 11月だから、というなんとも打算的な理由からではない。 しかし、人は今まであったものがある日突然別ものに変わると、 なぜだろうと思う。そしてその理由を知りたがる。 だから、人を安心させるために、多くの人が納得するであろう理由、 つまり、月のはじめだから、などということを一行目に書いたのである。 それ以外の理由は、多分、無い。 と、まあ当面はこんな調子で書いていきたいと思う。 こっちがダメだと思ったら、前のに戻すかもしれないし、 また、別なのにするかもしれない。 例えば、エセ関西弁で書いてみるのもいいだろう。 語尾が「〜でんがな」とか「〜まんがな」とか。 別にこれは関西人を馬鹿にしているわけではないが、 馬鹿にされていると思ったら、ごめんなさい。 マルコ・ポーロが日本を黄金の島だと思っていたようなもので、 単なる僕の臆断によるものだから、気にしないで欲しい。 意味がわからなくても、気にすることはないだろう。自分でもよくわかっていない。 というわけで、今日は運転免許センタに行ってきた。 で、免許をもらってきた。 ただでもらってきたわけではないから、買ってきたというのが正確だろうか。 下に画像を載せておこうかと思ったが、諸事情により中止。 驚いたのは、学科試験が終わった後、電光掲示板で合格者の発表があるのだが、 そこで自分の番号が出ると、そこかしこから、 「きゃー」とか「やったー」とか言って、狂喜している人たちがいる。 いや、合格したのだから、喜ぶのは当然である。 しかし、その喜び方の度がちょっと大きすぎるのではないか? 自分が大学に合格した時でさえ、こんなに喜ばなかったぞ。 それは、自分が感情をあまり表に出さないとか、 実際に見に行ったわけではないとかそういう理由なのかもしれないが、 そういう事情を差し引いても、そこには何か異常なものが感じられる。 多分、受かると思っていなかったけど、奇跡で受かっちゃいました、 みたいな?(語尾上がる)感じなんだろうが。 それにしたって、学科試験は絶対評価なのだから、自分でちゃんと勉強すれば、 そんなにドキドキして合格発表を待つことも、 受かってから、狂喜することも無くなるだろうにな、と思う。 当然自分は、受かったのがさも当然という風に振舞っていたわけだけれど、 他人からはどう見えたかは知らない。 もしかしたら、一番狂喜していたかもしれない。 しかし、そんなことはどうでもいい。受かったことが大事なのだ。 1回目で受かったって、8回目で受かったって、免許が公布されればそれでいいのだ。 (実際に8回目という人がいた。) 免許センタに行く道で、母校の制服を見た。 というわけで、次回は制服の話。 今日の画像(不定期) なし |